人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」2022年06月05日

 篠田謙一 <中公新書・2022.2.25>

 本書により、最新の古代DNA研究の概要が全てわかる、と感じた。
 これまで化石の形態しか手段が無かった人類の起源に関する研究が、分子生物学の発展により大きく変わった。化石に含まれるDNAの研究は1980年代にPCR法によるDNA増幅が考案されて始まり、2000年代の次世代シークエンサー(DNAの塩基配列を調べる機器)の実用化により一気に広まった。最近では試料への外在性DNA(すなわち現代人のDNA)の混入を排除する技術が進み、さらにDNA解析を想定した化石の保管方法が行われるようになったことで(寒冷地で何万年も保存された化石内のDNAも掘り出した後に室温保存すれば分解が進む)、次々と新発見が報告されているという。さらに化石や古代の人骨だけでなく、遺跡の堆積物の中に含まれるDNAからもそこにいた人類の遺伝子の情報が得られるようになった。2015年発刊の「ネアンデルタール人は私たちと交配した(スヴァンテ・ペーボ著)」でユーラシア大陸のホモ・サピエンスの遺伝子には数%のネアンデルタール人遺伝子が含まれることを学んだが、その後の研究の進展は確かに著者が言うように「ボナンザ(豊富な鉱脈、繁栄)」だ。今では10万年前のネアンデルタール人のDNAが、3人と数は少ないものの、現代人DNAと同レベルの深度(精度)で解析されている。
 現生人類であるホモ・サピエンスは、数十万年の期間にわたって旧人類であるネアンデルタール人やデニソワ人と共存し、相互に何度も交雑を繰り返したらしい(母がネアンデルタール人、父がデニソワ人という女性の骨も発見されている)。さらに未知の旧人類との交雑の可能性もあるという。集団内のミトコンドリアDNA(母から娘に伝わる)やY染色体DNA(父から息子)の多様性から婚姻形態が推測でき、また骨から抽出されたDNAのメチル化分析からデニソワ人の骨格の再現も試みられている。
 さらに本書では、数万年前から数千年前以降の古代や現代人のDNA解析の結果から、世界の大陸ごとの人類の系統や移動の時期について、言語や農耕牧畜との関連とともに詳しく紹介されており、日本についても縄文人、弥生人、北海道集団、琉球集団に関する解析結果が記されている。世界各地の古代文化の推移が、ヒトの移動と関連させて理解できるようになったわけで、従来の研究からは全く想定されていなかったヒトの入れ替わりも見つかっている。
 これまでにDNA解析が行われた最も古い化石は43万年前のもの。恐らく現存するごく微量のDNAの保存・解析技術は行き着くところまでいったであろうから、もっと古い時代の人類については、より安定性の高いコラーゲン等のタンパク質の解析が期待されている。
 それにしてもホモ・サピエンスの全ゲノムが発表されたのが2002年だから、それからわずか20年でここまで来るとは。原著論文をフォローする元気はないが、本著のような手軽な読み物で最新の成果までを網羅的にまとめた書物は大変ありがたく、次を楽しみに待っていたい。

侵食される民主主義 内部からの崩壊と専制国家の攻撃2022年06月28日

 ラリー・ダイアモンド (市原麻衣子・監訳)<勁草書房・2022.2.20>

 その世界では「ミスター・デモクラシー」と呼ばれているという著者が、予想外のトランプ大統領誕生に衝撃を受けて書いた本。原著の出版は2019年で、トランプの再選を阻止する狙いがあったと思われる。原題は “ILL WINDS, Saving Democracy from Russian Rage, Chinese Ambition, and American Complacency”、民主主義の中心を自認するアメリカの問題とともに、ロシアと中国を侵食の張本人と名指ししている。ただし監訳者が解説で指摘しているように、著者は反プーチン、反習近平であって、反ロシアや反中国ではない。アメリカでも反トランプであって、反共和党ではない。リーダーと国民は別ということだ。
 著者は政治学の研究者として世界70カ国以上を見て回り、民主主義の定着、促進、発展および後退の研究を進めてきただけでなく、イラク連合国暫定当局の統治担当上級顧問など民主化の現場でも働いてきた。トランプ台頭の以前からアジア、アフリカ、ラテンアメリカ、東ヨーロッパの国々における民主主義システムの不調を憂慮し、警告を発し続けてきたという。
 本書では、人々の自由とその実現に必須と著者が考える民主主義(ここでは代表制民主主義)はアプリオリに正しいとし、それを侵食する専制政治(autocracy)、権威主義、クレプトクラシー(kleptocracy、国の資源・財源を権力者が私物化する政治体制、泥棒政治とも言われる)やポピュリズムの政治家達を名指しで批判し、糾弾する。具体的に多くの事例を挙げ、民主主義を支持する者には非常に説得力があるが、ここまで明確に敵視されれば、彼が批判する政治家の支持者達には反感を与えるだけだろう。したがって彼の意図は、民主主義支持者に危機感を与えることであり、民主主義の擁護に向けて積極的な行動を促すことを目的としている思われる。世界の民主主義を守るためには、アメリカの立て直しが必須と著者は考え、選挙区割りを捻じ曲げるゲリマンダーや、一般投票の敗者が大統領になることがある選挙人制度など、日本から見ると不思議なシステムが生き続けるアメリカの制度を改変し、民主主義を復活させる7つの具体的な改善策を示している。
 同じ時期に、世界の様々な国で権威主義が台頭し、泥棒政治とまで言わなくても仲間うちだけを大切にする(安倍元首相はそう見えたし、トランプも同様。敢えて敵と味方を作る)政治が支持されるのは何故だろう、と私は常々感じていたが、それは一般には民主主義の行き詰まりと捉えられているようだ。いかにもアメリカ人らしいスタンスの著者であるが、ハイジ・J・ラーソンの「ワクチンの噂」を読んだあとだからか、「仲間内政治」から脱却し、多様な世界観を持つ人々をまとめていくのにこの手法でいいのか、との疑問、不安が出てしまう。私が生きている間に、著者が期待するような、世界の民主主義の崩壊から復活への流れが生まれるか、甚だ心許ないが、成り行きは心して見ていきたい、というのが率直な感想である。