すき間の子ども、すき間の支援 一人ひとりの「語り」と経験の可視化2022年07月17日

 村上靖彦・編著 <明石書店・2021.9.10>

 昨年読んだ、大阪・西成地区の子育て支援に関する「子どもたちがつくる町」の著者が関わった本ということで目に留まって読んでみた。社会のすき間、福祉制度のすき間にいる子どもやその親をテーマとして、7人の著者がそれぞれ個別の人や施設について書いている。発達障害児やそのグレーゾーンにいる子どもの養育に関する話が2つ、社会的養護(児童養護施設)が3つ、放課後等デイサービス(障害のある子どもの放課後支援)と、主に貧困家庭の子どもの居場所(こども食堂および学習支援活動)に関する話がそれぞれ1つ。類型化や統計ではなく、具体的な出来事に重きを置くために対象の数は限られているが、興味深い事例が多かった。児童養護施設に関する印象的な2つを以下に記す。
 大阪市の湾岸部にある大きな児童養護施設・入舟寮は長い歴史を持ち、ベテラン職員も多くいたが、2010年代前半に子どもたちの問題行動が増えて次第に集団化し、施設全体に広がって収拾がつかない状態になった。万引きなどの犯罪や学校での暴力行動による警察沙汰が日常的に起きるようになり、中学生の半数くらいが不登校の状態だったという。この章の著者の久保は2016年、施設立て直しのアドバイザーとして入舟寮に関わりを持ち始めた。「崩壊」のきっかけは、少しでも家庭生活に近づけるための施設の小規模化という社会からの要請であったが、著者によれば実際はそれだけでなく、新たに来た施設長による運営方針の変更(スポーツ活動などの集団行事の廃止、「職員ファースト」による職員の負担軽減や頻繁な配置転換、子どもの規則違反に対する厳罰化、など)が大きいそうだ。2015年に着任した新施設長の新しい方針、子どもとの信頼関係を作り直すことを基本とし、職員たちの多大な努力により現在では施設が「再生」されたという。これらの記述に著者のバイアスがどれほど入っているかはわからないが、少なくとも現場の主役(この場合は子どもたち)に目を向けない方針転換が混乱を招いたことは確かと思われる。また様々な困難を抱えた子どもたちの表面的な言動だけから判断したのでは大きな間違いを犯すことがあり、「言葉を失ったあとで」の被害者たちと同じく、彼らの声を聴き、彼らの言動の背後にある心理(何故、荒れ始めたのか)を考えることが重要であると理解した。
 もう一つは村上の記述による章で、大阪・西成地区でヤングケアラーとして育ち、一時期は社会的養護を受けた女性の話。(ほとんど)母子家庭の長女で、覚せい剤中毒の母だけでなく、小さい頃から妹と弟の面倒もみていたという。救いは「子どもたちがつくる町」に紹介されていた「こどもの里」で、彼女は長期間にわたって入り浸り、1年間の社会的養護も受け、この施設があったからこそ彼女たちは文字通り、生き延びることができた。但し、彼女からこどもの里に、食べるものがないというSOSを出すことはあっても、母の覚せい剤のことを語ることはなく、最後まで母も含めた家族を守り通した。現在は20代で社会福祉士になることを目指し、児童養護施設で働いているそうだが、彼女が支援したいのは子どもだけでなく、その母親も、と考えているという。覚せい剤中毒だった自分の母も被害者、という視点から離れることはない。
 ひきこもり、性暴力やDVの被害者、児童養護施設の子どもたち、その他困難を抱えて生きている人たちを理解する上で、彼ら彼女らの「声を聴く」ことの難しさを感じるとともに、自分の常識やものの見方、考え方を当てはめることが如何に危ないか、を考えさせられる。

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