アナーキスト人類学のための断章2022年10月16日

デヴィッド・グレーバー (高祖岩三郎・訳)<以文社・2006.11.1>

 15年以上前に出た本だが、「ブルシット・ジョブ」を読んだあとに出会って、自分が最もしっくりくる生き方に近いのはアナーキズムかも知れないと思ったきっかけであり、以降の読書にも大きな影響を受けたので、改めて読み直してメモを残すことにした。
 著者はニューヨーク出身の文化人類学者で、2011年の「ウォール街を占拠せよ」運動の指導的存在と言われる。本書日本語版へのまえがき「まだ見ぬ日本の読者へ 自伝風序文」に自身の生い立ちが記してあり、12歳のときのマヤ象形文字の解読がハーバード大の専門家に認められて高校の奨学金を得て、19歳のときに人類学を志し、さらにアナーキストたることを決めたという。その背景には、両親ともに左翼の闘士であり、訳者いわく「労働者的ニューヨークの申し子」という環境で育ったことがあるようだ。著者は研究者の枠にとどまらず、世界の民衆とともに戦う活発なアクティヴィストであり、そのためイェール大学の教職を追われてロンドンの大学に移った。「ブルシット・ジョブ」が世界的なベストセラーになり、日本でも翻訳が出た直後の2020年9月に59歳の若さで亡くなった。従って、私が著者の本を読み始めたときには既に故人になってしまっていた。
 私が最初にアナーキズムに親近感を抱いた文章はまえがきにあった。「・・・社会主義者が労働者のためにより高賃金の獲得を叫んでいたことに対して、アナーキストは労働時間の短縮を求めていたことにあった。・・・非資本主義的な環境に生きるほとんどの人びとは、経済学者が「目標収入(Target incomes)」と呼ぶものを目指して働いている。彼らは市場から何が必要か、それがいつ手に入るかわかっているので、ある時点で仕事をやめ、リラックスし、人生を楽しむことができる。」もちろん私は資本主義社会に生きているが、周囲の人を見ていると自分のスタンスは明らかにマイナーと感じていたので、この文章に出会って仲間を見つけた気がした。食べ物に困るほどの貧困を知らず生きてきたこともあるだろうが、高級レストランには全く興味がないし、安価な食事でもあれば満足なのも確かだ。
 著者によれば古典的アナーキズムの原理は「自律(autonomy)」「自由連合(voluntary association)」「自己組織化(self-organization)」「相互扶助(mutual aid)」「直接民主主義(direct democracy)」で、自分たちをアナーキストと呼ぶかどうかに関わらず、これらの活動は現在、世界各地で広がっているという。またこの生き方は人類学者にとっては馴染みのあるものであり、著者が研究したマダガスカルで見た人々もそうであった。人類学におけるアナーキズムの先駆者と著者が考えるマルセル・モースは「国家と市場のない社会は、彼らがそのように生きることを積極的に望んだためにそうなった」としている。アマゾンや北米の先住民は、暴力の脅威に裏付けられた権力や恒常的な富の不平等が生じないような状況を作っていた、という。すなわちヒトの社会は、発展して国家や市場経済を作り出したわけではないということだ。最近よく聞くようになり、このブログでも以前に紹介した「贈与経済」もモースに由来するもので、モース以前は、貨幣や市場なき経済は「物々交換」によって機能している、と考えられていたが、実際には「贈与経済」だったことをモースは証明したそうだ。
 しかしこれまで実際に存在したアナーキズムは原住民の社会か、あるいは近代テクノロジーの世界では小規模な孤立した運動の形であって、全社会的変革が実現したことはない。それはアナーキストは権力を奪取しようとはせず、国家の形成を目指さないから(だから無政府主義者と日本では訳される)、と著者はいう。アナーキストが目指すのは「・・より漸進的に、現今の権力の形態が馬鹿馬鹿しく意味をなさないことを証明する、世界的な規模の代案的(alternative)組織形態をつくり、新しいコミュニケーションの形式を示し、新しい非疎外的な生活の組織化の方法を創造する」ことで、「このことは逆に、実現しうるアナーキズムには無数の例がありうることを意味している。..高みに立って権威を押しつけないものなら、どんな種類の組織でもアナーキズムたりうるのだ。」
 私が理解したところでは、著者がいうアナーキストの社会は直接民主主義であり、多数決を用いずに合意形成ができるまで話し合いを繰り返す(多数決は少数者への「暴力」を伴い、内部にしこりを残す)。またそれがどこまで広がるかは結果であって、社会全体がアナーキズムになるように命令したり、暴力的に他者を圧することはない。基本はローカルな組織や社会での実現を目指す。そこでどうしても頭がいってしまうのは、「ウォール街を占拠せよ」運動は一時的に盛り上がったとしても、「ウォール街」に代表される経済の仕組みを変革することはできないだろう、ということだ。おそらく著者の答えは、上述の「現今の権力の形態が馬鹿馬鹿しく意味をなさない」と多数の人が思うようになれば変わる、ということになるのだろう。先ずは自分の周りの社会をアナーキスト的に、ということか。尚、本書の主題はアナーキズムではなく、アナーキスト人類学なので、人類学との関連に重点が置かれているが、私の関心はあまりそこにないため本文では大部分を省略した。
 先日、NHK-BSで放映された2022年フィンランドのドキュメンタリー番組「”燃え尽き症候群(Burnout)”を生むシステム」に著者が出演していて、初めて彼の言葉を聞いた。元々はアメリカかイギリスで作られた番組をフィンランドで編集し直されたため、何年も前に亡くなった故人が出ているのかと想像しているが、話の中身は「ブルシット・ジョブ」に関することで、その話し振りはこれまで持っていたイメージ通りの、一見さえないおっさんで何故か嬉しくなった。

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