超圧縮地球生物全史2023年02月04日

ヘンリー・ジー (竹内薫・訳)<ダイヤモンド社・2022.8.30>

 たまたま図書館の新刊置き場で見つけた本。地球における生命の誕生から将来に起きるであろう全生物の絶滅までを、細菌から真核細胞へ、単細胞から多細胞生物へ、動物も植物も文字通り超圧縮して極めて簡潔にまとめている。特に恐竜時代以前に大型化した両生類、は虫類全盛期についても詳しく、また日本語版のために作ったという多数のイラスト付きで説明しているので、それぞれの生き物のイメージを描きやすい。著者は元々、古生物学の研究者で、現在は「ネイチャー」誌の生物学シニアエディター。訳者あとがきでは「科学書には珍しく文学的であり、巧みな比喩で生命の躍動を感じさせる」と褒めているが、私には少し違和感があり、さらに書き方が断定的過ぎると思ったが、このあたりは想定読者や趣味の違いなのだろう。あまりに多くの生物が次から次へと記載されていて、一読しただけでは個々の生物についてほとんど記憶に残っていないが、さりとて今のところ、手元において時々チェックしたい、という気にはならなかった。
 「一般に・・、年をとって生殖できなくなった生き物は、あっという間に死んでしまう」のに人間のおばあちゃんは閉経後も孫の子育てに参加することで、結果的に生殖の向上に寄与している、という話は以前から聞いていた(石原慎太郎は誤解して正反対の主張に使った)が、その影響でおじいちゃんも長生きになったという説は初めて知った。進化の圧力はオスとメスで異なるが、同じ遺伝子を共有するため男女間の綱引きになる。「赤ん坊を産むために女性は太らなければならなかったので、男性も太るようになった」とか、「女性は閉経を迎え、長生きするようになったため、男性も長生きするようになった(女性ほど長生きにはならなかったが)」という。これも断定的に記されているものの単に一つの説とは思うが、古来、一般に男の方が威張っているヒトの社会で、男はついでに長生きさせてもらっている、というのはなかなか愉快な話だ。人類で「長老」という階層が生まれたことの説明として、文化の継承が容易になることの進化圧というよりも、生殖の向上の方が、説得力があるように私には思える。
 本書で最も刺激的(ショッキング)だったのはホモ・サピエンスの絶滅の話だ。「幸せに繁栄する種はどれもみな同じにみえるが、絶滅に直面する種にはそれぞれの絶滅の形がある。」というトルストイをもじった文章から始まり、いろんな種の絶滅の話に続いて唐突に、そしてさらっと「今後数千年のあいだに、ホモ・サピエンスは消滅するだろう」と書かれている。その数行後には「人類は、あと数千年から数万年以上は生き残れないだろう」とも言う。人類のさらなる進化など、一切言及しない。
 もちろんこの時間の予測に強い根拠があるとは思えないが、私には超人類の出現より余程ありそうな将来に思える。いずれホモ・サピエンスが滅びるであろうことは確実だが、それが数千年で起きるだろう、とは考えたことがなかった。使用済み核燃料から出る高レベル放射性廃棄物(核のごみ)の最終処分場を作るにあたって、10万年もの長期間の安全な保管が可能か、という話があるが、実は当局に人たちの本音は、どうせその前に人類は滅びるのだから、そんな先の話は考えても無駄、ということなのだろうか、と心配になってきた。

サイレント・アース 昆虫たちの「沈黙の春」2023年02月19日

デイヴ・グールソン (藤原多伽夫・訳)<NHK出版・2022.8.30>

 内容はまさに副題の通りで、日本人には原題の副題 Averting the Insect Apocalypse(昆虫の黙示録の回避)より遥かにわかりやすい。著者は昆虫(特にマルハナバチ)生態学の研究者であり、本書にも登場するネオニコチノイド系殺虫剤の使用禁止をEU全域に実現させた運動の立役者というから、現実の世界を良くするために活動している人のようだ。レイチェル・カーソンの本ほどに歴史に残るかわからないが、本書も人類による地球の生態系の破壊に対して警笛を鳴らし、さらにあらん限りの方策を挙げてその回避を訴えている。広く読まれるには内容を少し盛り込み過ぎている気がするが、重要性は非常に高いと思った。
 本書では、世界の昆虫は非常に減少しており(生息地および個体数の減少、報告によっては9割減)このまま進行すると地球の生態系に大きなダメージを与えると主張している。これまで意識したことがなかったが、確かに昆虫は顕花植物の受粉に重要であり(花粉運びのほとんどを担っていて、ヒトが栽培する作物の4分の3の受粉をしているそうだ)、さらに昆虫は鳥や小動物の餌でもあるから、食物連鎖を考えれば動物界全体に対しても非常に影響が大きいことは充分に納得できる。著者は昆虫が大好きなのでその減少を阻止したいと考えるのは自明のことであるが、一般の人がそうではない(蚊は単にうっとうしいだけでなく感染症を媒介するから、いなくなれば私も嬉しい)ことは理解しているので、本書では先ず最初にヒトが地球で生きていく上での昆虫の重要性を説明し(政治家を動かして世の中を変えるにはこれが重要)、次に実際に昆虫が、多様性ばかりでなくその生息数も減少しているデータを示すとともに、考えられる原因を挙げ、さらに様々なレベルでの対策を提案する、というのが本書の流れである。
 人新世(人類が地球の生態系に大きな影響を与えたとして提唱されている地質学的区分)において多くの大型哺乳類や鳥類などの脊椎動物が絶滅したことは良く知られているが、昆虫も含めた多くの無脊椎動物も人知れずひっそりと絶滅し続けていると考えられている。2017年、ドイツ全域の自然保護区において、1988年から2016年までの27年間で飛翔性昆虫の生物量が76%減少した、と著者を含めたグループが報告した。その後、様々な種の昆虫の長期的な減少が欧米を中心に報告され、さらにイギリスにおける食虫性鳥類の大幅な減少も示されている。「これまでにわかっている証拠からは、昆虫のほか、哺乳類や鳥類、魚類、爬虫類、両生類もすべて数十年前に比べて個体数が大幅に減少していることが示唆される」という。ただし、その変化はゆっくりであるため気付かれにくい。
 昆虫が減少した原因として考えられるのは、すみかの喪失(大きくはアマゾン熱帯林の消失や大規模な集約的農場の拡大など、昆虫の観点で見ると集約的農場はほとんど何の役にも立たないそうだ)、汚染された土地(農業、牧畜業、ヒトやペットに対してなどで膨大に使われている殺虫剤のほか、除草剤や殺菌剤など)、除草(畑や芝生から除去される野生の草花)、緑の砂漠(牛に食べさせるための「緑の大地」はミツハチやチョウにとって無益)など多岐にわたり、10の章でそれぞれ詳しく説明している。たとえば殺虫剤について、ヒトや動物に対して毒性の強い薬剤は使われなくなってきたが、虫に選択性が高く強力な化合物が次々と開発され、それらが全世界的に使われていて、農場以外にも広く拡散するため、多くの昆虫たちが影響を受けている。また、私はペットを飼ったことがないのでよく知らないが、犬や猫のノミやダニの駆除に使う薬剤もその多くが環境中に流出して害を与えているという。マイクロプラスチックが深海にまで分布するようになったことと同じで、たとえ局所的に使われる薬剤てもそれが積み重なって膨大になれば地球規模であらゆる場所に影響を与える。
 私にとってショックだったのは、これまで土壌に残らないと思って使っていた除草剤のグリホサート(商品名ラウンドアップ、など)が実は残留性があり、かなりの悪さをする可能性がある、ということだ。グリホサートはアメリカの大企業、モンサントが開発し、この薬剤に耐性を有する遺伝子組み換えダイズやトウモロコシとともに世界で広く使われている除草剤で、ヒトへの発ガン性も指摘されている。残留性がないというのは企業サイドのデータであり、今では残留性があるとする報告も多数出ていて、著者も何年も前から使うのを止めたという。現在、世界中で使われているグリホサートその他の除草剤の量は増加し続けていて、それらは農園だけに留まらずに、風などによって飛散し、遥か離れた土地にも溜まり続けているという。
 「私たちにできること」として最後の5章で書かれている対策には、世界の農業のやり方を根本的に変える、人類の食生活をベジタリアンやビーガンに近づけるなど、今の常識では実現可能性が低いと思われるものもあったが、できそうなこともいろいろある。上記のグリホサートや、芝生や庭の草取りの害など、私にとって悪いニュースがあった一方、良いニュースもあった。イギリスの各地で調べた結果、都市のあらゆる生息地の中で、昆虫の多様性が最も高いのは市民農園で、庭や墓地、公園、自然保護区よりも種類が多かった、という。その理由はおそらく、多種多様な作物や花々が栽培され、概して農薬の使用が少ない、といったことだろうとしている。これらの事柄は全て私の畑にも当てはまり、イギリスの一般的な市民農園の広さは 2.5 アールだそうだから、面積としてもほぼ同じだ。グリホサートの使用は考え直さなければならないと思うが、トータルで見れば私が自分の敷地内でやっていることは「昆虫に優しい」のかも知れない。
 その他の対策の中で最も納得したのは、子どもたちに対してもっと博物学や生態学の教育を進めようということだ。特に小学校レベルの子どもにこそ、生物たちの関連をわかりやすく伝えるべき、というのは大変もっともなことと思う。生物学の研究の最先端はどうしても細かいことになるが、「木を見て森を見ず」にならないよう生態系全体の理解を高めることは確かに重要であり、実生活と生態系の関連を知ることは早ければ早いほどいい。
 先に読んだ「超圧縮地球生物全史」に書かれていた人類の未来の話と共通して、今からで間に合うかどうかわからないし、私が生きている間にそれを知ることはできないだろうが、たとえ無駄な抵抗であろうとも、生態系の破壊を減らすような生活を心掛けたいと改めて思った。

男性中心企業の終焉2023年02月25日

浜田敬子 <文春新書・2022.10.20>

 LGBTQも含めたジェンダー平等や、様々な意味での多様性の意義は私の関心事の一つでもあるので、本書のタイトル実現の具体性を知りたくて読んでみた。日本の男女格差は先進国で最低水準であることが毎年報道され、男女雇用機会均等法、育児休業制度、両立支援制度、女性活躍推進法など様々な法整備が進められているものの、世界における日本のジェンダーギャップ指数の順位は低下する一方だ。それは日本の状況が悪くなっているからというより、アジアやアフリカ諸国も含めた世界の国々の変化が加速度的に進んでいるから、という(アフガニスタンといった特殊な国はあるが)。本書はジェンダー格差の解消の意義と日本の現状、変化が進まない要因の分析を紹介するとともに、改善に取り組んでいる企業(本書によれば全体の1割程度?)や個人の具体例を挙げることにより、日本の企業に変化を促すことが目的でタイトルを選んだと思われる。読み終わった印象では、確かに男女格差の是正は企業経営においても重要な意味があるようだが、「終焉」は少なくとも日本では残念ながらまだ著者の希望的観測あるいは願望と感じた。それが明らかであれば、もっと多くの企業が抗うであろう。
 著者は朝日新聞社の記者から雑誌の編集者になり、AERAの副編集長、編集長、米国のオンラインメディアBusiness Insider Japanの統括編集長を経て、現在はフリーのジャーナリスト。企業が変われば社会が変わると考えていて、2人の子供を育てながらこのようなキャリアを積んできた自身の経験も本書にはかなり書かれている。
 本書の中に具体的なデータは示されていないが、マッキンゼーは2007年、リーダー層における女性比率と企業業績には高い相関性が見られるとのレポートを発表した。以降、多くの地域や産業別の分析でも同様の結果が得られ、さらに最近マッキンゼーは、日本は男女格差を改善することによって、GDPを6%押し上げることができる、との分析結果も出しているそうだ。
 本書ではこれらの論理的背景として、以前に読書メモに残した「多様性の科学」を引用して多様性の意義を示し、9.11を防ぐことができなかったアメリカCIAの同質性(WASPの男性ばかりでイスラム教徒がいなかった)にも言及している。社会は男女同数なのだから、その社会を対象とした企業活動は、歳取った男だけからなる集団ではなく、男女の数がある程度バランスの取れた上層部がなければ適切な判断ができないだろう、ということだ。
 日本のジェンダー格差が解消されない要因の一つは、日本型の雇用形態にあるとの説を取り上げている。これは以前、「ジョブ型雇用社会とは何か」(本書の参考文献に挙もげられている)の読書メモに書いたように、世界標準であるジョブ型雇用ではなく、終身雇用や年功序列といった日本独特のメンバーシップ型(詳細は6つ前の読書メモ)雇用慣行の成功体験が大きく影響している、という。今の若者の間では終身雇用は一部の人のみ、と考えられているだろうが、現在の多くの企業で終身雇用はまだ崩れておらず、「管理職、リーダー層になるような中核社員には雇用保障と引き換えに、職務や労働時間、勤務場所は限定せず働かせ、・・・、多くの女性の雇用の受け皿になっていた一般職という職種は契約社員や派遣社員などの非正規化が進行した」という分析を紹介している。
 もう一つ、ジェンダー格差が解消しなかった要因として著者が考えるのは、充実し過ぎた両立支援制度である。企業内保育所や育休制度の充実により、出産による女性の退職を防ぐことはできたが、これらは育児は女性が担うものという暗黙の了解の上になりたち、性別役割分担を固定化した。短時間勤務制度などによって女性は会社員の立場を守ったものの、マミートラックという別の道を歩まざるを得なくなった。現在は、男性の育休やリモートワークの活用などにより、一部の企業では変革が進みつつあるようで、本書ではその他の問題点に対する様々な試みの事例も紹介されているが、世界の変化に比べれば遥かに遅れている、というのが日本の実態なのだろう。
 本書を読む前に上述した2冊の本を読んでいたお陰で、著者が指摘していることがらが理解しやすかった。特に「ジョブ型・・」で指摘されている日本独特の雇用慣行がそう簡単に変わるものではないだろうということに納得しているので、私が生きている間に日本でどこまでの変化が起き得るのか、少なくとも日本のジェンダーギャップ指数の順位が急上昇する気はあまりしない。
 ちょうど最近、岩手県が若者や女性の流出が多いことに対策をとるというTVのニュース映像が流れ、そこには十数名の年配の男性のみからなる会議が映っていて、思わず笑ってしまった。今春の選挙に女性候補が立つようだが、単に女性知事が出ればいいということではなく、組織の幹部や会議メンバーに女性が増えなければ目に見えた変化は起きないだろう(女性知事が出た県で増えたかどうか知らない)。男性中心のこの自治体も、日本の多くの企業や、日本という国全体と同じく、このままでは終焉は迎えないまでも、没落し続けるしかないのだろうか。