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    <title>「畑とRUNと音楽と」  読書メモ ＜プラスアルファ＞</title>
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    <pubDate>Wed, 23 Jul 2025 12:47:37 +0900</pubDate>
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      <title>＜行者にんにく＞</title>
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      <pubDate>Tue, 22 Jul 2025 15:40:52 +0900</pubDate>
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      <description>　裏庭にいくつかの多年生の食用植物が植えてあって、ギョウジャニンニクもその一つです。それまで食べたことは無かったし（多分）、ほとんど何も知らなかったのですが、ご近所さんが苗を下さるというので、ありがたくいただいて植えました。土地が合わないと育たないと言われたのですが、全く問題なかったようで毎年、春になると芽を出して、秋になると枯れて地上には何もなくなってを繰り返し、生育は非常に遅いとのことだったのでほとんど食べることなくそのまま放置していたら、７年経ってかなり大きな株にまで育ちました。&lt;br&gt;&#13;
　そこでそろそろ株分けして増やしてみようと思ってChatGPTに尋ねると、適切な時期は芽が出てきた春先か、枯れ始めた秋との回答でしたが、来年まで待ちたくないし、当地では７月初めにはもう葉の一部が黄色くなり始めるので、再度、状況を書いたら、北東北では７月でも枯れ始めたら適期とのこと。そこで早速、株全体を掘り起こし、丁寧に一つずつ鱗茎（球根）をバラして70個近くとり（写真左）、20 cmくらいの間隔で植え付けてみました。暑い日が続いたにも関わらず日除けをしなかったためか、直ぐに枯れてしまった（写真右）ので少し不安もありますが、これもまた次の春の楽しみの一つになりました。
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      <dc:subject>畑</dc:subject>
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    <item>
      <title>＜たまねぎ＞</title>
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      <pubDate>Sat, 12 Jul 2025 06:33:23 +0900</pubDate>
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      <description>　当地では夏に種蒔きして苗を作り、秋に植え付けて冬越しして、翌年6月頃に収穫します。写真左は６月下旬、収穫直前の状態で、右は現在、雨があたらない風通しの良い場所で乾燥させています。ご近所の農家さんは納屋で干すそうですが、納屋がない我が家ではテラスの隅にこのように吊るして、昨年の収穫物は年明けまで、半年近く問題なく食べ続けました。&lt;br&gt;&lt;br&gt;&#13;
&lt;div class="msg-pict"&gt;&lt;img src="https://ntryhb.asablo.jp/blog/img/2025/07/12/70a6e8.jpg" alt="" title="" width="300" height="103"&gt;&lt;/div&gt;&#13;
&#13;
　３年前から近くの支援学校の生徒さんが我が家の玉葱を収穫に来ています。今年も過去最多１７人の車椅子の子どもたちが先生方に連れられてきて、皆さん自分で収穫して持って帰りました。玉葱が目的というより、最初はこの時期に来ることになって収穫できる野菜が他になかったからなのですが、今では毎年、そのつもりで玉葱を多めに作るようになりました。&lt;br&gt;&#13;
　周囲にはプロの農家さんが何軒もあるので、当初は私のような素人の家庭菜園でなくても、と思っていましたが、車椅子の徒歩圏内となると限られ、いろんな種類の野菜があり、さらに待っている間は芝生でゴロゴロできる、などから年２回の来訪が恒例になりました。学校の行事の都合からか、もう１回は晩秋で、残っている野菜の中から好きなものを収穫して帰ります。&lt;br&gt;&#13;
　私の野菜作りは基本、自己満足のためと思っていますが、こうして楽しみにしてくれる人がいることはやはり励みになります。
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      <dc:subject>畑</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>＜ブロッコリー＞</title>
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      <pubDate>Sun, 06 Jul 2025 06:00:21 +0900</pubDate>
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      <description>　青ネット越しで見にくいですが、５月上旬に１つ６０円で買ってきて植えたブロッコリーの苗に、充分に食用になる大きさまで育った花蕾ができました。自分で種蒔きして作った苗はまだまだ小さいので、ビニールハウスの威力でしょう。&#13;&lt;br&gt;
　何年も前に初めてブロッコリーを栽培したときの話。青虫の害の話は聞いていましたが、同じアブラナ科のキャベツのように、葉をかじられるとばかり思っていたら目立った被害はなく、喜んで花蕾を収穫して、小さく切っているときに中から多くの青虫が出てきて大変驚いたことを覚えています。少し洗ったくらいでは完全に除くことは難しいようで、茹でている最中に虫が浮かんできたこともありました。&#13;&lt;br&gt;
　あとになって、市販のブロッコリーでも稀に青虫がいるとネット記事で読みましたが、私は経験がなかったので、この時まで全く知りませんでした。葉が食べられているキャベツは１匹ずつ青虫を除くことで対処できますが、ブロッコリーに入り込んだ虫は外から見えません。プロの農家さんは薬で対処するようですが、安全な使い方がわからない私は次の年から防虫ネットを使ってモンシロチョウから守るようにしています。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>畑</dc:subject>
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      <title>＜ラズベリー＞</title>
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      <pubDate>Fri, 04 Jul 2025 05:08:48 +0900</pubDate>
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      <description>　イチゴ畑の隣に４年前に１苗植えたラズベリーが少しずつ勝手に広がり、今では１０近い枝が地面から出て実を付けるようになっています。写真は最初の苗から１メートル以上離れた場所に出てきたものです。今年は実がつくのが少し遅く、６月下旬から畑作業中につまんで食べたり、多めに採って朝の食卓に乗ることもありますが、不精者の私は気が向いたときに食べる分しか採らないので、結構な分は熟して落ちてしまっているのでしょう。期間は短いですが、イチゴが終わったこの時期のささやかな贅沢です。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>畑</dc:subject>
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    <item>
      <title>＜あじさい満開＞</title>
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      <pubDate>Thu, 03 Jul 2025 10:27:16 +0900</pubDate>
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      <description>　孫が好きな花、と聞いたので満開になった写真を載せることにしました。右はホームセンターで買ったフェアリーアイ（妖精の瞳）という品種の鉢を裏庭に植えたものですが、こちらは日当たりが悪く、周囲の雑草を放置することも多いので、挿し穂で別の場所に移す作業中です。来年は２つの満開写真を並べたいところですが、さてどうなるでしょうか。&#13;&lt;br&gt;
　このところ自治会長仕事、特に推薦する２つの非常勤公務員の候補者探しが悩ましく、また自治会長として別のブログを立ち上げたので、しばらくこちらのブログに頭が向かいませんでしたが、人選が一段落したので、また少し更新頻度を上げたいと思います。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>畑</dc:subject>
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    <item>
      <title>＜テッポームシ＞</title>
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      <pubDate>Mon, 09 Jun 2025 10:37:08 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2025-06-09T10:42:07+09:00</dcterms:modified>
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      <description>　写真の手前はテッポームシにやられたサクランボの木です。その向こうの昨年植えたまだ小さいサクランボや、さらに向こうのプルーン、ブルーベリーの葉が茂っているのに対して、これは葉が出る前の段階で止まってしまい、残念ながら今年はこのままで終わりそうです。&#13;&lt;br&gt;
　テッポームシとはカミキリムシの幼虫のことで、果樹の幹の根元に穴を開けて幹の中を食い荒らすため、放置すると木が死んでしまいます。昔の農家さんは強い殺虫剤を使って予防していたそうですが、近年は禁止されたため、気をつけないとこうなります。&#13;&lt;br&gt;
　３年前には、今は何とか復活したプルーンがやられました。その時は素人の私には原因が全くわからず、何故今年のプルーンは葉が出るのが遅いのだろう、などと呑気に構えていましたが、５月中旬になっても全く葉が出ないのでさすがに異変に気付き、詳しい人に見てもらって、あわててテッポームシ専用の殺虫剤を使いました。その方は、復活するのは難しいかも、と言っていましたが、一部の太い枝は死んでしまったものの、全体としては生き延びて、昨年、今年と少しずつ実や花が増えてきています。&#13;&lt;br&gt;
　環境やヒトの健康のためには殺虫剤を使わないに越したことはないのですが、このサクランボも放置すれば死んでしまうし、詳しい人の見立てでは「まだ生きているようだ」とのことだったので、先月、同じ薬を使ってみました。その後、特に変化は観察されませんが、来春、不安な気持ちで葉が出るのを待つことになるのでしょう。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>畑</dc:subject>
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    <item>
      <title>＜はつか大根も収穫＞</title>
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      <pubDate>Mon, 26 May 2025 07:00:43 +0900</pubDate>
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      <description>　レタス類を植え付けた少し後、4月中旬に試しに種蒔きしてみた「はつか大根」が育ってきて、先週から食卓にのぼるようになりました。まだ寒さが残る北東北ではさすがに２０日とはいきませんでしたが、１ヶ月ちょっとでそれなりの大きさになり、虫が少ないこの時期は葉が食い荒らされることもないので、葉っぱまで美味しくいただいてます。これで5月に収穫できた野菜が２つ、昨秋に収穫した白菜が4月下旬まであったので自家製野菜がない時期が半月あまりにまで減りました。&#13;&lt;br&gt;
　近隣の農家さんのように漬物を作ればもっと長く保存が効くと思いますが、なるべく塩分を控えたい私は人参、ねぎ、大根は土に埋めて、白菜は屋外に置いて保存し、この冬はそれらが無くなるまで消費しました。冬越し野菜の量をもう少し増やすとともに、今年は乾燥保存を試し、来春もまた何か工夫をして、自給自足とまではいかないものの、野菜については自分で自分を養うという自己満足の程度を上げたいと思っています。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>畑</dc:subject>
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    <item>
      <title>＜収穫の最初はサラダ菜とサニーレタスから＞</title>
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      <pubDate>Tue, 13 May 2025 05:52:03 +0900</pubDate>
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      <description>　一昨年までの１０年あまりは４月に畑を耕し、５月連休明けから種蒔きを始めたので、最も早くに収穫が始まるわさび菜でも６月に入ってから、レタス類は中旬以降でした。ご近所の農家さんの産直には４月からレタス類が並ぶので聞いてみると、彼らは２月にはビニールハウス（燃料を使わず太陽光だけ）で種蒔きして３月に畑の雪がなくなったら植え付けるとのことでした。そこで昨年、ハウスがない私は小さなビニール温室を使って４月上旬にレタス類を種蒔きして、できた苗を４月下旬に路地に植え付けたら５月下旬には収穫できました。そこで今年はさらに早めて、２月半ば過ぎにポットに種蒔きして温室に入れて、４月中旬に地植えして寒冷紗をかけて育てたら、以前は畑作業を開始したこの時期にもう食べられるようになりました。右はサニーレタス、左はサラダ菜、レタス類は寒さに強いと聞いていましたが、確かに北東北の当地でも５月上旬から地植え野菜が収穫できて大満足です。&#13;&lt;br&gt;
　ちなみに写真にある黒いシートは雑草防止と加温のためのマルチで、今年は初めて生分解性のものを使ってみました。これまでのプラスチック製の方が安くて丈夫で、使う分には全く問題がないのですが、終わった後に丁寧に剥がしているつもりでも、どうしても土に埋まっている部分の小さな破片が残ることがあるようで、しばしば畑から出てきます。マイクロプラスチックによる環境汚染が問題となるご時世なので、少し前から気になりつつもなかなか踏み切れずにいましたが、今年ついに試したわけです。欠点は価格が何倍もする上に、数ヶ月しかもたないらしいこと。おそらく夏頃から裂けだして、雑草が出てくると予想されますが、実際どうなったか、またここに書きたいと思います。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>畑</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>＜イチゴの花が満開＞</title>
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      <pubDate>Mon, 12 May 2025 09:02:27 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2025-05-12T09:03:29+09:00</dcterms:modified>
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      <description>　敷地の一角にタタミ一畳ほどのイチゴ畑があり、今は一面に花をつけています。&#13;&lt;br&gt;
　以前は我が家の近くにキジが生息していてしばしば鳴き声を聞き、裏庭でイチゴを作っていた頃は実ったイチゴを片端から突っついて全てダメにしてくれたり、畑に５匹ほどの子どもを連れたキジ一家が現れたこともありました。最近、ご近所の畑が次々とアパートや一戸建てになったことで、この数年は全くキジの声を聞かなくなり、それはそれで寂しいことではありますが、おかげで、今では実ったイチゴが荒らされることもなく、畑作業中の気が向いたときにつまんだり、朝食の果物になっています。昨年は５月下旬から６月上旬が収穫のピークでしたが、今年はどうでしょうか。&#13;&lt;br&gt;
　ここにイチゴを植えてから４年くらい経つので、そろそろまた別の場所に植え替える必要がありそうです。同じくらいの面積でいいと思っていますが、さてどこを耕すか。&lt;br&gt;
</description>
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      <dc:subject>畑</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択</title>
      <link>https://ntryhb.asablo.jp/blog/2025/05/11/9774734</link>
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      <pubDate>Sun, 11 May 2025 05:39:07 +0900</pubDate>
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      <description>稲垣えみ子　＜マガジンハウス・2023.5.25＞&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　ちょうど１年前に読んだ。著者は元・朝日新聞論説委員、編集委員。NHKの番組から髪の毛の容積が巨大な女性として知っていたが、人となりは全く知らなかった。50歳で退職してその後は定職を持たず、江戸庶民の長屋暮らしを理想とした生活に一変させて極めてハッピーになった、という話。以前に読書メモを残した「ほくはテクノロジーを使わずに生きることにした」のマーク・ボイルほど極端ではないが、洗濯機、冷蔵庫、掃除機などの家電は使わず、調理はカセットコンロ１台のみで一汁一菜の食事。狭いアパート住まいで収納が無いので衣服も最低限のみ。会社員時代は着飾ってグルメ大好き、高級マンション暮らしだったというから、そういう生活も知っていながら、既に１０年続けた今の状態が最高で、死ぬまでこれを続けるそうだから本気のようだ。逆に年老いて身体が動かなくなったときこそ、このスタイルが生きやすい、という。家事に割く時間は１日３０分か４０分、仕事は午前と午後に近所の喫茶店での執筆で、あとは好きなことをして遊んでいる。買い物や食事、銭湯などはご近所の馴染みの店にいき、地域の人との繋がりを大事にしている。きっかけは福島原発事故で、電気に頼らない生活を目指したところから始まったそうだが、そこからの激変は凄まじい。書いてある通り、本人にも新発見の連続だったのだろう。基本的な考え方は上記のマーク・ボイルや私と同類で、ボイルと私の間にいる感じ。本書のあと彼女の著書数冊を読んだので、以下はそれらも含めて、私と同類と感じたこと。&#13;&lt;br&gt;
　先ず似ていると思ったのは細かいことだが家庭菜園と食事。彼女の場合はベランダのプランターだが、自分で作った野菜は客観的に不味くても、美味しいと思って食べられること。味よりも自分が作ったという満足感が勝る、というのは良くわかる。他人との比較に関心はなく、自分がどう感じるかが大事。お金は生活に必要な分だけあればよく、贅沢をするためにお金を稼ぐことはしない（以前の著者は良い生活のため必死に稼いでいた）。家事に割く時間は最低限というのも、方法は違うが結果は同じ。但し著者が生活を極めてシンプルにしたら必要な家事が激減したのに対して、私は意識して家事を減らしているので、終わった後のすっきり感は全くない。&#13;&lt;br&gt;
　本書を含めた彼女の著書から影響を受けたのは、以前から考えていた乾燥野菜を作ろう、ということくらいだが、マーク・ボイルよりもっと近い同類を知って意気投合、の感じに近いのかも知れない。&lt;br&gt;
</description>
      <dc:subject>読書</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>サイボーグになる テクノロジーと障害、わたしたちの不完全さについて</title>
      <link>https://ntryhb.asablo.jp/blog/2025/05/05/9773302</link>
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      <pubDate>Mon, 05 May 2025 05:47:08 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2025-05-05T05:47:52+09:00</dcterms:modified>
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      <description>キム・チョヨブ/金草葉、キム・ウォニョン/金源永（牧野美加・訳）＜岩波書店・2022.11.17＞&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　後天性難聴の障害を有し、大学では自然科学を専攻したSF作家の女性（チョヨブ、1993年生まれ）と、生まれつき骨が弱い骨形成不全症のために３歳までに少なくとも１０回以上の骨折を経験した弁護士で作家、パフォーマーでもある男性（ウォニョン、1982年生まれ）が章ごとに交互に書き、最後に対談が載っている。同じ論点を違う表現で繰り返して取り上げるなど、全体の統一性に少し不満が残ったが、全体としては充分に読む価値のある本と思った。対談では両者とも自分がどう感じているか、どう考えているのかを非常に率直に語っていて、彼らの問題意識が広く、深いことも感じられた。&#13;&lt;br&gt;
　２人は約１０歳の年齢差に加えて性別、専門性も異なるが、ともに１０代半ばにそれぞれ補聴器、車椅子を使い始めたという共通点があり、当事者として本書のテーマを語っている。マイノリティ当事者が支援に関して書いた本という意味で「当事者は嘘をつく」と共通しており、どちらの場合も多くの支援者は上から目線で、当事者を画一的に見るため、当事者本人の意向を尊重するわけではない、と主張していると理解した。&#13;&lt;br&gt;
　本タイトルを見たときは、補助器具を使っている障害者を「サイボーグ」と呼ぶことに違和感があったが、本書によれば障害当事者が自らをサイボーグと考えることは稀というから、世間の呼称を使って世の中に問いかけたと思われる。サイボーグという言葉はCybernetic と Organism からできた造語で、人間を宇宙に送るために考案されたそうで、「テクノロジーによって改造された新しい形態の人間で、臓器移植や薬物の注入、機械との結合などによって、極限の宇宙環境でも生存できるよう増強された人間を意味する」ものだった。&#13;&lt;br&gt;
　科学技術の飛躍的な発展により障害を補う様々な機器が作られ、著者らを含めた多くの障害者に利用されている。さらに、たとえば階段を登る車椅子など画期的な補助機器も開発されている。また医療の面では、障害の治療法や新薬などに莫大な投資が行われ、いずれ障害者も非障害者と全く同じように生活できる未来が待っている、かのようなお伽話が語られている。しかし現実では、障害者には貧困に喘いでいる人が多く、最先端の高価な機器を使えるのはごく限られた人であり、また購入できるほど裕福な人でも他人の視線に耐えるという別の試練もある。&#13;&lt;br&gt;
　障害を治療する医療についても著者らは懸念を表明する。確かに遠い未来の素晴らしい世界のために研究を続けることは必要であろうが、今、現実に困っている障害者が生きやすいようにすることも重要であり、そのバランスが金銭面でも社会の関心でも、前者に偏り過ぎている、と彼らは考えている。&#13;&lt;br&gt;
　世の中には障害学なる学問があり、そこでは「障害は損傷した身体を持つ一個人の問題ではない、損傷と相互作用する社会や環境が特定の身体を『障害化」するのだ』と主張されている、という。障害を治療の対象と捉える「障害の医療モデル」に対して、「障害の社会モデル」では物理的な施設や社会制度を変えることによって障害を解消することを目指す。&#13;&lt;br&gt;
　聴覚障害は目に見えないため、補聴器を使うことは障害の可視化に繋がり、聴覚障害者は社会的スティグマを嫌がって補聴器を付けないことが多い。高齢に伴う聴覚障害の場合でも同様で、私の周囲にもそういう高齢者がいるし、自分がそうなった場合を考えても如何にもありそうだ。「歩行車ではなく松葉杖を使い、あまり楽ではないけれど『脚のように見える』義足をつけ、リアルタイムで字幕を表示してくれるプログラムを使う代わりに、全神経を集中させて相手の口の形を見つめる人たち、つまりサイボーグなることよりならないことを、隠れたサイボーグとして生きることを選ぶ人たちが、ここにいる。スティグマ、非障害者のふりをして生きたいという切望、ありのまま受け入れてもらいたいという思い、それらのはざまで障害者は絶えず緊張の中に置かれている。スティグマが強い社会であるほど、障害や病気を抱える人たちはそれを隠すことを選択をする。」目立つことは悪いことであり、多数の人と同じことが重要な日本では特にそうだろう。&#13;&lt;br&gt;
　種々のマイノリティの話と同様に、障害を正常に対する異常と捉えるのではなく、多様性の一部とする考え方が障害者の中で広がっている。障害を恥じたり否定したりしないという強固な自己認識に基づき、自分の障害は単なる差異や違いに過ぎないのであれば、その障害を治すために時間や費用をかけるのは矛盾していると考える。その先にあるのが、日本の脳性麻痺の障害者で尊敬を集めているという人権活動家が放ったという言葉「ぼくは障害を治す薬ができても飲みません！」である。その考えをどれほどの障害者が支持するかわからないが、理屈でいけばそうなるのは理解できる。ただ、もし私が同じ境遇にいたら、たとえ理屈ではそうでも、そのように考え行動するとは想像しにくい。&#13;&lt;br&gt;
　その他にもいくつかの主張があったがカットして、印象に残ったことをいくつか。&#13;&lt;br&gt;
　「感動ポルノ」とは、非障害者に感動やインスピレーションを与えるための道具として障害者をモノ扱いするマスコミやメディアを批判する表現。&#13;&lt;br&gt;
　性的マイノリティが自らをクィア（queer：奇妙な、風変わりな）と呼ぶように、障害者が自らをクリップ（crip：不具）と呼ぶことで障害に対する蔑みを逆手に取り、非障害者中心主義や「正常性の規範」に積極的に抵抗する。「クリップ・テクノサイエンス宣言」では、これまでおもに非障害者の専門家が障害者のために技術を開発する、という構図を覆し、障害者や障害者コミュニティが自ら築き上げるテクノポリティックスの実現を目標とする。やはりどこか「当事者は嘘をつく」の小松原織香の考え方と重なり、一方的で寄り添う姿勢のない支援者に対するマイノリティの主張と思った。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>読書</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>＜フルマラソンを走ってきました＞</title>
      <link>https://ntryhb.asablo.jp/blog/2025/04/23/9770382</link>
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      <pubDate>Wed, 23 Apr 2025 05:07:03 +0900</pubDate>
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      <description>　私のフルマラソンのベストタイムは５１歳のときの３時間９分台、もう２０年以上前のことです。その頃は１００キロマラソンにも何回か出たことがあり、ゴールはしたが途中で苦しくなって少しでも歩いてしまった場合は「完走できなかった」と悔しがったものでした。５０代半ばに転職と転地でしばらくフルマラソンから離れましたが、６０歳前に復活して、４時間少しで何回か走りました。その時もまだ身体の故障さえなく普通に練習を積めば完走は当然と思っていました。次にフルマラソンに出たのが６年ぶりの６７歳のとき、４時間４０分くらいかかりましたが、最後までわりと楽に走ったと記憶しています。１ヶ月後のレースで担当した５時間ペースランナー（５時間以内で走りたい人を一定のペースで誘導する）も問題なくこなしました。&#13;&lt;br&gt;
　その後コロナ禍になり、大会が再開された３年後、７０歳を超えてからは５時間前後が普通になり、その頃から３５キロ過ぎると歩きが入ることが多くなりました。タイムが落ちることは仕方ないのですが「完走」できない現実は受け入れ難く、何とかしたいとの思いが募ります。２０年前と比べて、少し練習を休むと走力が落ちやすくなったことに加えて、疲労が抜けにくくなっていて休養が少ないと身体全体に疲れがたまってしまうようになり、さらにその兼ね合いが歳とともに変化していると感じます。フルマラソンを「完走」したい今の自分にとってどうするのがベストか、試行錯誤を続けていました。&#13;&lt;br&gt;
　そこで迎えた先週末のマラソン大会。この数ヶ月の練習スケジュールや当日のペースを工夫した成果か、最後は向かい風に苦しみましたが２年ぶりに歩くことなくゴールできました。タイムもほんの少しですがコロナ後の自己ベスト。大満足です。&#13;&lt;br&gt;
　コロナ前に比べても明らかな老化を感じますが、これが現実。後ろを向かずに前を見る。健康のことを考えれば、もうフルマラソンは止めた方がいいかなとも思いますが、私にとってモチベーション維持にフルを目標とすることは大きいので、まだしばらく続ける予定です。ランナーの諸先輩方を見ていると、大会の制限時間がフルを諦める大きな要因のようなので、私もそうなってフルを卒業するのかな、と思っています。ちなみに身近な大会では６時間なので、まだしばらく余裕がありそうです。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>ランニング</dc:subject>
    </item>
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      <title>土偶を読むを読む</title>
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      <pubDate>Sat, 19 Apr 2025 05:19:50 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2025-04-19T05:20:44+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2025-04-19T05:20:44+09:00</dcterms:created>
      <description>望月 昭秀ほか　＜文学通信・2023.4.28＞&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　昨春に読んだ本。今回、メモを作るために再度借りてきたが、全体を読み直す気が起きず、ほんの少しの拾い読みで済ませたので、以下は１年前の記憶。&#13;&lt;br&gt;
　本書では、以前に読書メモを残した「土偶を読む」を考古学者たちが徹底的に批判して、土偶は食用植物をかたどったフィギュアだという竹倉説を木っ端微塵にしている。これはこれで充分に説得力があり、納得させられた印象が残っている。ネットで調べても今の時点で竹倉からの反論は全くないようで、本書の著者らが竹倉との討論会を本人や「土偶を読む」を出版した晶文社に申し込んだが断られた、との記事が見つかった。&#13;&lt;br&gt;
　以前のメモで絶賛したように、私も「土偶を読む」を感心しながらとても面白く読み、専門家の意見を聞きたいと思っていたが、結論としては素人が事実に反するデータを示して奇想天外な説を出しただけ、ということで終わったようだ。やはり専門家の意見を聞いてから判断しないとわからない、ということか。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>読書</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>当事者は嘘をつく</title>
      <link>https://ntryhb.asablo.jp/blog/2025/04/18/9769240</link>
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      <pubDate>Fri, 18 Apr 2025 06:17:50 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2025-04-18T06:56:20+09:00</dcterms:modified>
      <dcterms:created>2025-04-18T06:18:39+09:00</dcterms:created>
      <description>小松原 織香　＜筑摩書房・2022.1.26＞&#13;&lt;br&gt;
&#13;&lt;br&gt;
　何年も前から読みたいと思っていた本。いわゆる「当事者研究」ではなく、当事者が苦しみ抜いて研究者となり、事件から20年以上たってカミングアウトした話である。NHK「こころの時代」で著者の言葉を聞いてさらに興味を持ち、読み終えたあとにまた録画を見直した。&#13;&lt;br&gt;
　最初に著者が苦闘の末にたどり着いた「回復の物語」を記す。&#13;&lt;br&gt;
　「私は１９歳のときに性暴力の被害に遭いました。その後、トラウマに苦しみ、死を考えるほど追い詰められていました。でも、自助グループにであって、自分の経験を仲間たちと分かち合うなかで、回復することができました。それから、私はもっと性暴力の問題を追求したいと考え、大学院に進学しました。いまは研究者として活動しています。」&#13;&lt;br&gt;
　本書はこの経過の詳細を描いたもので、その時々にどのような状態で、どう考え、どう行動したか、を研究者らしい目線で分析している。&#13;&lt;br&gt;
　著者は、性暴力被害者に限らず、様々な原因でトラウマを抱える若い人が今後の人生を考える上で、あるいはそのような当事者の心情を理解するのに役立つかも知れないと考えて本書を書いた、という。「この本の目的は、性暴力の被害を告発することでも、被害者の苦しみを訴えることでもない。過去の強烈な経験を引きずりながら生き延びるなかで私が見た風景を描くことだ。」「真実を明らかにするためではなく、私の生きている世界を共有するために。」&#13;&lt;br&gt;
　著者の研究テーマである「修復的司法 Restorative Justice」は、国家が犯罪者を処罰することで問題の解決をはかる刑事司法に対して、被害者と加害者の対話を中心に置いて問題解決を目指す。著者の研究内容は博士論文を書籍化した「性暴力と修復的司法ーー対話の先にあるもの」（西尾学術奨励賞受賞）でわかるだろうが、読んでないので知らない。司法による問題解決には被害者の回復と加害者の更生（再犯の防止）の両方が含まれると思うが、これまで私が関心を持って読んできた坂上香は後者の視点なのに対して、本書を読む限り著者の場合は前者にある。&#13;&lt;br&gt;
　著者のトラウマは精神科医療で全く改善されず、２年足らずの自助グループへの参加によって冒頭の「回復の物語」を得て生き延びた。また著者は性暴力被害者に対する善意の支援者に対して「顔が紅潮し、血が沸騰するような怒りで爆発寸前」になる経験をした。当事者が欲する「私を理解して欲しい」という願いを医者も支援者も受け止めることはなかった、という。（後に訪れたノルウェーの医療者なら寄り添ってくれただろうに、と涙したそうだ。）著者は加害者に対して殺したいほどの怒りをもつ時期もあったが、「赦し」を与えることを考え続けた。一方、医者やカウンセラー、研究者などの支援者は終始、著者にとって「敵」であり、彼らに対する怒りのエネルギーが著者を研究者にした、と私は理解した。&#13;&lt;br&gt;
　著者は当事者と研究者の狭間で苦悩しながらも、当事者であることを伏せたまま長らく研究を続けた。その葛藤も本書に詳細に記されている。著者は学位取得の目処が立った頃から水俣病の修復的司法に関心を持ち、当事者ではない単なる支援者として水俣の人々と接するようになった。すなわち自身が憎んだ立場に身を置いたときの「風景」も本書に記している。&#13;&lt;br&gt;
　タイトルは著者がいつも気にしていることで、無意識のうちに嘘をついているのではないか、自分の言葉に嘘が含まれていないか、という自省の気持ちを表しているが、もう一つ、当事者であることを隠して、単なる支援者のふりをして研究者を続けてきたことも含まれる。&#13;&lt;br&gt;
　著者が経験した「トラウマ」は私がこれまでイメージしていたものを遥かに超えていて、サバイバーという言い方が納得できた。またそれが著者だけに起きたのではないことは、多くの被害者の分析をした精神科医や被害者サバイバーの文章の中に「これは自分のことだ」と著者が感じたという言葉に表されている。本書は当事者だけが持つそのリアリティを、研究者目線で長期間に渡って記したことに価値がある。なるほど、そう思うのか、という記述が多数あった。性暴力に限らず、おそらく虐待なども含めた様々な被害者が同様の状態に陥る可能性があるのだろう。今後、もし私が支援者の立場になった場合はもちろん、マスコミなどで様々な当事者の言動に接してその状況を把握しようとする際にも、本書で読んだことが影響するだろう。少なくとも私に関して著者の目的は達成された、と思う。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>読書</dc:subject>
    </item>
    <item>
      <title>「ちいさな社会」を愉しく生きる</title>
      <link>https://ntryhb.asablo.jp/blog/2025/04/11/9767602</link>
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      <pubDate>Fri, 11 Apr 2025 05:32:38 +0900</pubDate>
      <dcterms:modified>2025-04-11T05:33:32+09:00</dcterms:modified>
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      <description>　たまたま図書館の新刊置き場で見て、自治会に関わるようになった今、住み良いコミュニティにする具体的なヒントがあればと思って読んだ本。著者は東大教育学部教授で、専門とする社会教育学・生涯学習論とは「人々が楽しく幸せに暮らすために、どのような日常の営みがあり、それと学びとの関係はどうなっているのかを考え、その学びを実践する学問」とのこと（著者の「『つくる生活』がおもしろい」より）。イメージがつかみにくい学問だが、おそらく本書が「学びの実践」の具体例なのだろう。&#13;&lt;br&gt;
　「ちいさな社会」とは、著者が「人々が楽しく幸せに暮らすために」必要と考えるコミュニティであり、本書では著者の大学ゼミがその立ち上げに関わった３つの例を取り上げている。残念ながら自分のコミュニティに直ぐに応用できそうなヒントは得られなかったが、その考え方は理解できて納得もしたので、いずれ参考にすることがあるかも知れない。&#13;&lt;br&gt;
　１つ目の例は１７年前から続いている東京・世田谷区の空き家を使った「岡さんのいえTOMO」と呼ばれる取り組みで、「地域の人たちのために使って」との遺言とともに家を引き継いだオーナーの協力依頼から始まった。当初はゼミの学生たちが中心となって「留学生との餃子パーティや子どもたち向けの寺子屋、駄菓子屋と昔遊びなどのイベントなど、いろいろ取り交ぜて、思いつくままになんでもかんでもやってみた」という。よからぬことをやっているという噂も出たそうだが、子どもたちが「おもしろそう」と次々と集まってきて、そのうち学校の先生、保護者、地域の高齢者を巻き込んでいった。目指しているのは「多世代で交流する『まちのお茶の間』づくり」で、現在では世田谷区の外郭団体「世田谷トラストまちづくり」が支援する「地域共生のいえ」の一つとなり、参加者の思いつくままにいろんなイベントその他が行われている。マスコミに取り上げられて全国の自治体から視察が来るようになり、さらにはNHKワールドジャパンが世界に発信すると「高齢社会日本の新しいまちづくりの取り組み」としてアジア各地からも訪問者が来たという。しっかりしたホームページもあって、来年の夏までのスケジュールが載っていた。確かに凄そう。&#13;&lt;br&gt;
　空き家は全国に増え続けているが、実際に空いている家は少なく、貸してくれる大家さんも多くない、という。そもそも空き家は個人の所有物であり、さらに普通の家のように仏壇や家具、生活用品などが置いてあって、そこから人がいなくなっただけだからだ。その状況を突破するのに、先ずはまちのみんなで、掃除しますよ、と持ちかけて大家さんと一緒になって大掃除をする。掃除するうちに家の価値がみんなに伝わって、みんなで使いたいから貸してくれないか、との話になり、みんなが責任を持って使ってくれるならありがたい、と活用が始まることが多いという。実際に日本でどれほどの空き家がこの例のように活用されたか、は載っていないが、「私設公民館」を作る方法として、なるほどね、という感じか。&#13;&lt;br&gt;
　次の例は千葉県柏市の「限界（戸建て）団地」に住む高齢者からの相談がきっかけで始まったプロジェクト。ここでは著者の提案で対象を団地から小学校区まで広げて、子どもたちと高齢者を結びつける世代交流型のコミュニティを作った。地元のあらゆる団体に声をかけてそれぞれのリーダー格の人に参加してもらって実行委員会を立ち上げ、場所は行政が提供した公共施設の空き車庫を住民総出で改装して、居心地の良いカフェにしつらえた。オープンから既に１２年、１日の利用者は平均１２０名というからかなりの規模と言えるだろう。週の半分を地域のグループによる活動の日、半分を自由に利用できる日としてあり、グループ活動の時間は半年先まで埋まっていて時間の取り合いになるほど活用されている（当方の自治公民館はほとんど空いている）。子どもたちが日常的に立ち寄り、地元の高齢者は登下校時の見守りと声がけをしたり、グループ活動に子どもを招いたり、地域の清掃活動を行ったりと、多世代交流があちこちで進められている。また学校との連携も強く、土曜授業や放課後子ども教室をこの実行委員会が担当し、学校の環境整備にも力を入れて、さらには学校の校外行事に同伴して先生方の負担を減らすなど、学校運営になくてはならない存在になっている、という。ここも大成功したケースのようだ。&#13;&lt;br&gt;
　うまくいくコツはともかく「楽しく」で、やらされ感は大敵。人が顔を突き合わせて認め合えるような小さな関係づくりから始め、皆が自分ごととして関わり、異質を排除せず、ネットワークを広げるというより、ドットを増やす。無理して新人を獲得したり、後継者を育成したりすることはしない。目的のために何をすべきか、ではなく、何が楽しいかは人それぞれなので、集まった人たちで楽しいことを始めることがキモのようだ。実際、ゼロからそれなりの活動が起きてくるまでの火の付け方が難しいだろうと思うので、楽しく始めるノウハウをもっと知りたいところだ。&#13;&lt;br&gt;
　中高生くらいの世代が「自治をやる」という言葉を使うとか。地下アイドル・Aちゃんの追っかけは自治ができてるけど、Bちゃんのは自治ができてない。自治ができている追っかけは皆で協調し、周囲にも配慮して後片付けや掃除も手伝うなど、追っかけの皆が仲間として楽しむのに対し、自治ができていない追っかけはバラバラで皆で楽しむ感じがない。実際にそんな例があるのかとも思うが、イメージはわかる。日本代表サッカーのサポートたちが、試合のあとの観客席を綺麗にして帰るという話を思い出した。&#13;&lt;br&gt;
　３つ目の例は那覇市若狭公民館が実践してきた「パーラー公民館」で、大ぶりのビーチパラソルとそれを支えるテーブルを公園などに置くだけでできる移動式の公民館。中心メンバーにはアーティストが多く、かなり独特で、いろんなバリエーションがあって、私には一番遠い感じがしたので詳細は省略。&#13;&lt;br&gt;
　最後の章では、大企業の役員経験者を中心に組織された一般社団法人「ディレクトフォース」を紹介し、その素晴らしさとともに弱点を指摘しているが、縁遠い話なのでこれも省略。&#13;&lt;br&gt;
　最初の２つの例は自治会/町内会や公設の公民館、社協などとは別の組織を立ち上げて作った点が興味深い。２つ目は公共施設だった場所を利用しているので、最初から少し公的な要素もあるが、「岡さんのいえ」は極めて個人的なところから立ち上げて、公的サポートは後からついてきた。都会だからできるのだろうか。&#13;&lt;br&gt;
　本書の３つの例はどれも非常にうまくいったケースと思うが、うまくいかなかった例についても知りたかった。「幸福な家庭はどれも似ているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」のアンナ・カレーニナ原理のように、おそらく失敗（あるいは大成功とは言いにくい）例にはいろんな原因があり、それを知ることも実地のコミュニティづくりに参考になるように思うのだが。&lt;br&gt;
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      <dc:subject>読書</dc:subject>
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