依存症と人類 われわれはアルコール・薬物と共存できるのか2024年03月02日

カール・エリック・フィッシャー (松本俊彦・監訳、小田嶋由美子・訳)
<みすず書房・2023.4.10>

 著者は依存症「先進国」米国の依存症専門医であるとともに、自身がアルコール依存症からの回復者でもある。斎藤環の書評や、以前に好印象を持った監訳者の絶賛でかなり期待して読んだが、私にとっては冗長で、かなりの飛ばし読みになった。ひきこもりは周囲にいるが、依存症患者を個人的に知らず(米国では9%、2200万人以上もの成人がアルコールその他の薬物問題を自認しているそうだが)、AA(Alcoholics Anonymous、アルコール依存症者の世界的な自助グループ)や日本のダルク(Drug Addiction Rehabilitation Center)に関する知識は多少あったものの、あまり身近に感じていないことが原因かも知れない。
 タイトルの通り、人類の種々の依存症(addiction)の歴史に関して、記録が残されている数千年前、古代インドのギャンブル依存症に始まり、古代ギリシャの哲学者や釈迦、アウグスティヌスなどの宗教家の思想から、依存症に対する世の中の認識や対応の長い歴史について延々と記載があり、加えて著者自身のアルコール依存症の過去や、専門医としての診療の記述が入り乱れて書かれている。前半は何とか読み続けたが、依存症の歴史に関心が薄いこともあり、途中から著者のアルコール依存症に関する記述のみを拾い読みし、終章の、依存症の理解に大きな変化が起きたという1970年代から現在までの考え方(まだ変化の途中と感じたが)と、結論「回復」を興味深く読んだ。
 一番の驚きだったのは、依存症のかなりの人が何の治療も受けずに回復する、ということ。アルコール、薬物、ギャンブルその他の依存症は一旦、深みにはまると自力で回復するのは容易でなく、また回復してもいつ再発するかわからない、と何となく考えていたが(小田嶋隆を読んだ影響もあったか)それは誤りらしい。ベトナム戦争に従軍したアメリカ兵の20%弱がヘロイン依存症であったが、帰国して1年後も引き続き依存していたのは1%だった。帰還後3年間での再発率は12%、回復した兵士の半数は帰国後にときどきヘロインを使用していたが依存症の状態に戻っていなかったという。これらの結果はアメリカ国内でも衝撃的に受け取られ、当初は必ずしも信じられていなかったらしいが、この報告以降、膨大な数の大規模調査が行われ、薬物などの使用の問題を抱える人々の圧倒的多数が、「自然回復」と呼ばれる現象により自力で自発的に回復したことが明らかになった。アルコールの問題を抱える人の約70%は介入なしに回復に向かう。違法薬物の問題をもつ人の多くは、30歳までに薬物の使用をやめている。もっとも有害な問題に限定しても自然回復の割合は大きい。このような多くの知見の蓄積にも関わらず、私のような理解が未だに広まったままなのは、自力回復できず、苦しんでいる当人や家族の話が目立つからかも知れない。但し、割合は少なくても困難を抱える依存症患者がいることは事実であるから、決して軽視して良いということにはならないが。現在はAAなど種々の団体や医療施設による多様な回復プロブラムがあるらしいが、プロブラムの詳細は書かれていない。
 依存症と他の精神疾患との合併はかなりの頻度で起きるようで、物質使用障害(依存症と考えて良いのだろう)を抱える人々のおよそ半数は、うつ病や双極性障害などの別個の精神疾患を発症しており、物質使用問題のために治療を希望する人々での併存率はそれより遥かに高い、という。一方、依存症の遺伝率(遺伝子に起因する変化の度合い)は25%から70%と言われているらしい。これらの結果から考えると、がんや生活習慣病と同じく、依存症もいわゆる「体質」と呼ばれる遺伝的な素地があり、そのような人がアルコールや薬物、ギャンブルなどに接すると依存症になりやすいということだろうか。
 監訳者の解説にあった引用によれば、人類においてもっとも広範に使用され、最大の害をもたらしている薬物はアルコール、タバコ、カフェイン(ビッグ・スリーと呼ばれる)であり、これらを規制することはまず成功しない(禁酒法時代のアメリカの話を思い出す。それどころか日本は国策として、敢えてギャンブル依存症を増やす方向に進んでいるように思える。)一方、薬物政策上取り沙汰されることが多いものの、現実には一部の人々だけが使用し、その害も世界全体から見ると、ビッグ・スリーとは比較にならないほど限定的な薬物としてアヘン、大麻、コカイン(リトル・スリー)が規制の対象となっている、という。なるほど、と納得した。

安楽死が合法の国で起こっていること2024年03月09日

児玉真美 <ちくま新書・2023.11.10>

 たまたま本屋で見かけ、タイトルに興味を持って読んでみた。安楽死を合法化した欧米の国はどこも、当初の極く限定された対象者が次第に増える方向に法律が変わり、さらに安楽死に対する医療関係者や一般の人々の意識も大きく変わってきているという。本書の内容がほぼ現状と考えると、日本でどんな厳しい条件をつけるにしても一旦、安楽死を合法化したら同様なことが起こるだろう、と容易に想像され、私にはかなり衝撃的な内容だった。
 著者は重度障害者の母であり、元は英語教員であったが今は日本ケアラー連盟代表理事で著述家、さらに語学力を生かして、安楽死に関する世界の状況をフォローしてブログで発信している。本書は現在までの「世界の安楽死の周辺ではさらに何が起こってきたか、そこにどんな危うさが見え隠れしているのか」をまとめたもの。以前に読んで読書メモを書いた「<反延命>主義の時代」と基本的なスタンスは同じで、最近の日本の安楽死容認の流れを危惧して書かれているが、今回は著者への反発の気持ちが全く起きなかっただけでなく、自分の考え方に修正を迫られた。
 先ず基本的な事項として安楽死に類する言葉の整理から。国際的に定まった定義はなく、専門家の間でも微妙に異なるようだが、本書では「尊厳死」「安楽死」「医師幇助自殺」を区別して説明している。「尊厳死」は医学的にはまだ生き延びることができるが、治療や処置、栄養補給などを控えて死を迎えることで、これはがん末期や老衰などの患者を対象に日本でも一般に行われている。これに対して「安楽死」は、医師が薬物を投与して患者を死なせることをいう。前者を消極的安楽死、後者を積極的安楽死ともいう。「医師幇助自殺」は死に至る最後のスイッチを患者自身が入れるもので、現在では薬物点滴装置のストッパーを患者が外して自殺することを指す。「安楽死」が合法化されていると言われるスイスで認められているのは「医師幇助自殺」であり、「(積極的)安楽死」は違法だそうだ。「安楽死」と「医師幇助自殺」の違いは私には本質的な話ではないと感じられるが、法的には重要なのだろう。但し、米国では医師幇助自殺を「尊厳死(dying/death with dignity)」と呼び、さらに人によっては「(積極的)安楽死」をも「尊厳死」と表現することがあるというから、確かにややこしい。
 2023年5月下旬の時点で合法化されている国
・積極的安楽死も合法化 ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ、スペイン、ポルトガル、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、コロンビア
・医師幇助自殺のみ合法化:スイス、オーストリア、米国10州とDC
 この他に、イタリア、ペルーなどで個別の訴訟に対して自殺幇助を認めた判例が相次いでいる。

 1995年に米国オレゴン州、ついで2001年オランダ、2002年ベルギーで安楽死を合法化したときは「もはや救命がかなわない患者にどうしても緩和不能な耐えがたい苦痛がある場合の最後の例外的な救済措置」として考えられ、「合法化」というよりも、際どい行為をする医師を免責し「非犯罪化」したという表現の方が正しい、という。それが終末期でなくとも「肉体的に耐えがたい苦痛」の患者へと広がり、さらに精神的な苦痛も対象となるようになった。ここまでの変遷は、漠然とではあるが自分でも認識していたと思うが、難病患者、重度障害者、認知症患者、精神/発達/知的障害者、病気の子どもなどに広がっている、と言われると確かに気になってくる。それどころか、スイスへの自殺ツーリズム(同国の医師幇助自殺は外国人も受け入れる)では、「命にかかわる病気があるわけではないけど人生はもう完結したと考える人や、将来的に家族の負担になることを案じる高齢者の医師幇助自殺が『理性的自殺』『先制的自殺』などと称され、近年とみに増加している」という。さらに著者が、後発ながら現在では最もラディカルと考えるカナダ(後述)では「苦しみを軽減する手段が経済的に容認できない」、すなわちお金がないから安楽死を選ぶとも言える例まで容認されているそうだ。
 このような範囲の拡大だけでなく、対象者を認定する際の要件も緩和される方向で進んでおり、立会人が複数必要だったのを一人にするとか、意思確認に慎重を期すために設けられた患者の考慮時間も大幅に短縮するなどが行われているという。「合法化した後でどこかが要件を緩和すれば、後から合法化する国のハードルは下がる。そうしてどこかが後に続くことで、安楽死のいわば『国際的スタンダード』はじわじわと下がっていく」。「すべり坂 (slippery slope)」とは、生命倫理学で使われる喩えで、ある方向に足を踏み出すと、そこはすべりやすい坂道になっていて、一歩足をすべらせたらどこまでも転がり落ちていくイメージだそうだが、安楽死の状況はまさに「すべり坂」と表現されている。
 著者がこの変化の大きな転換点とするのが、2016年にカナダが合法化した際に積極的安楽死と医師幇助自殺を合わせてMAID (Medical Assistance in Dying、死にゆく際の医療的介助)と称したことで、これによって安楽死が緩和ケアと同類に位置づけられた、と考えられ、医療関係者の感じるハードルが低くなった。充分な緩和ケアが行われないために激しい苦痛を感じて安楽死を選ぶ(選ばざるを得ない)患者もいるだろう。
 ベルギーの医療現場では安楽死がルーティン化、瑣末化(trivialization)し、法律で禁じられている医療サイドから患者への安楽死の提案がなされたり、義務付けられている安楽死の報告は実際の半分程度、などが医療職らの本や論文に紹介されている、という。さらに絶対的な要件であるはずの「自己決定」の原則が、認知症や発達/知的障害、さらに理解力が低い子どもへの拡大により、曖昧になりつつある。これらの国々では、安楽死が全死亡の数%になっているという。
 安楽死を社会保障費削減策の一つと考えたり、臓器移植の提供手段として利用するなども実際に行われているとのことで、社会からの圧力も大きい。ここにさらに「<反延命>主義の時代」でも取り上げられた「無益な治療」論が加わり、コロナ禍での対応を含めてかなりのページが割かれているがここでは省略。著者は重度障害者の母でもあるから、その実体験からの発言は深い。
 著者は「安楽死を個人の『権利』と認めて合法化し、なお高齢者や障害者や病者や貧困層など社会的弱者の命が不当に切り捨てられたり脅かされたりすることのない社会は、はたして実現可能なのかーー。海外の動向を追いかけながら、そのことをずっと考えてきた。今のところ私には、安楽死合法化の『先進国』にそのチャレンジに成功している例があるとは思えない。まして、権威主義的で、組織や集団からの同調圧力が大きな日本の文化風土の中では、その試みはより危険なものとなるだろう。私は日本で安楽死が合法化されることには、欧米以上にリスクが大きいと考えている。」と言う。苦しんでいる人がいるのだから議論だけでも始めよう、というのは「あまりにナイーブではないだろうか」と言われれば、同意せざるを得ないし、本書における著者の考察は非常に説得力がある。
 最終的な著者の主張はこうだ。「議論を原点の終末期の人に戻すべきで・・・・『終末期の人には安楽死を認めるべきか』ではなく、問題を『終末期の人の痛み苦しみに対して何ができるか』へと設定しなおすべきだ」「常に医療のそばに身を置く重い障害のある人と家族の立場から言えば『死ぬ権利』を云々する前に、『もうどうしても死を避けられなくなった時に、十分な緩和ケアと社会的ケアを受けながら、最後まで固有の人生を生きる主体として尊重されて、苦しまずに生きる権利』を主張したい」。最近のデータでは、今なお癌患者の4割が痛み苦しみながら死んでおり、少なくとも家族は、医師が十分に対応してくれなかったと感じている、という。「患者は痛みに耐えているのではなく、痛みを訴えても聞く耳を持ってくれない医師に耐えているのです」という緩和ケア医の言葉を引用している。

くらしのアナキズム2024年03月23日

松村圭一郎 <ミシマ社・2021.9.28>

 これも人類学者が書いた本。最初に読んだのは2年ほど前だが、最近、地域活動にさらに深く関わることになり、自分の活動を考えるのに関連することが書いてあったと思い、再読してメモを残すことにした。従って本書全体のメモではなく、今の自分が記録したいことだけ。著者は大学院時代にデヴィッド・グレーバーの本を読んで啓発され、アナキズムに関心を持つようになったらしい。本書では、私も以前に読んだスコットの「反穀物の人類史」、きだみのるの「にっぽん部落」、レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」に加えて、モース、クラストル、ブローデル、鶴見俊輔、宮本常一などの記述を紹介しつつ、自身がエチオピアの村で観察した様子も考え合わせて、身近なところから考えるアナキズムについて書いている。
 人類学者が調査・研究してきた国家なき社会にも政治的なリーダーはいた。レヴィ=ストロースはブラジル・アマゾンの先住民のバンドの首長には明確に定められた権限や公に認められた権威はなく、人々の同意だけによって支えられている、とする。そのような首長は強権を奮って周囲を従わせることはできず、ひたすら多数の同意を維持する努力をするしかない。リーダーは自分の利益のために動くものではなく、共同体のために働き、それをする限りにおいて、ある種の権威や特権を一時的に集団から託されているに過ぎない。「人びとは、リーダーが集団の目標に貢献しているのか、つねに関心を寄せ、そこから道をはずれると、さっと同意を翻す。国家が人びとを監視する監視社会とは逆に、リーダーがつねに人びとから監視されているのだ」。
 首長は社会のなかで生じるさまざまな問題を解決するための役割を担う。威信と言葉以外につかえる強制力をともなう手段は持たない。首長は決断をして意思決定をするのではなく、巧みに言葉を使って人々を説得し、集団の同意を形成する。この同意を得るための手法は、徹底した会話につきる。民俗学者・宮本常一の記述でも日本の部落における「寄りあい」について、肯定的な意見も否定的な意見も出るなかで、決して無理をせず、気が熟すのを待って、皆の気持ちが落ち着くまで話し合った後に、長老が落としどころを提案する。グレーバーが言うように、日本でも多数決で答えを出すことは、敵対関係を作ることになるため、徹底して避ける。小さい集団を作る人類はこのようにして生き残ってきたのであろう。
 ダム建設や原発の誘致、基地建設などで日本各地が賛成派と反対派との分断に地域社会が文字通り破壊されることが度々起きている。これに関して、猪瀬浩平は「むらと原発」の中で高知県窪川町(現四万十町)で原発誘致をめぐって起きた対立について記している。賛成と反対の勢力は拮抗し、町長の選挙やリコールが繰り返され、全国的にも画期的な原発設置についての住民投票条例も可決されたが、結局、投票は実施されなかった。一方、原発とは全く別の案件として農業機械化のための土地整備事業が行われ、ここでは長い時間をかけて合意形成が図られた。結局はチェルノブイリ原発事故が起き、また他の原発設置が進んだことにより、窪川町の原発は見送られたが、町を二分する対立とは別の案件で両陣営の人の間の会話は続けられており、「骨肉を争った町民同士の『けんか』をここらでやめんと、窪川の町がだめになる」との判断が生まれ、事態は収拾された。
 以下は他に印象に残ったことがら。
 スコットは「文字が国家をつくる」と主張する。メソポタミアで最初期の国家が誕生したのは紀元前3300年頃だと考えられ、この時期は歴史上はじめて文字が登場した時と一致する。国家を維持するには非生産者(官吏、職人、兵士、聖職者、貴族階級)を食べさせるための余剰食料が必要であり、それを確保するには継続的な穀物の記録・管理が必須だった。最初期のメソポタミアでは、ほぼ簿記の目的のためだけに文字が使われており、文学や神話などが文字で記されたのは、それから500年以上たってからのことだった、という。一方、国家が誕生したあとも、あえて国家や文明から逃れた膨大な数の人々が生きてきたが、そのような人々に関する記録は全く残されていない。
 グレーバーの印象的な言葉も引用しているのでここに残しておく。イラクでサダム・フセイン政権が倒れたあとに暴動や略奪が起きたのは「人びとを、子供として処するなら、彼らは子供のように振舞う」から。