ワクチンの噂 どう広まり、なぜいつまでも消えないのか2022年05月30日

 ハイジ・J・ラーソン (小田嶋由美子・訳) <みすず書房・2021.11.10>

 ワクチン接種の義務化に対する反対運動は、古くから世界の多くの国で起きていて、ワクチンの普及を阻んでいる。日本でも副作用に対する国民の不安を受けて、1990年代に定期予防接種が従来の義務接種から勧奨接種(努力義務)に変わった。諸外国の政府や専門家は予防接種の意義に関する科学的な根拠によって彼らを説得しようとしているが、必ずしもうまくいっていない。人類学者である著者のラーソンはユニセフやWHO/世界保健機関においてワクチン推進の要職についていたが、2003年にナイジェリア北部の州知事が呼びかけて起きたポリオワクチンボイコット運動に衝撃を受け、大学に戻ってワクチン抵抗運動に関する研究と教育に携わるようになった。本書で著者は、ワクチンに関するネガティブな「噂」が何故なくならないのかを具体的な事例を数多く挙げて解説し、ワクチンを広めようとするなら、ワクチンに反対する人達に対してもっと謙虚に向き合うべきと主張する。私はこれまで、WHOによるポリオ撲滅がなかなか達成できないのは主に内戦などの地域紛争が原因と漠然と考えていたが、それは大きな間違いとわかった。またワクチン以外のフェイクニュースを含めた捉え方についても学ぶことが多かった。尚、本著の発行は新型コロナ感染の発生以降であるが、本文の記述はそれ以前に終わっていて、コロナへの言及はプロローグのみ。
 日本ではワクチン接種に反対する人達は、子宮頸がんワクチンでもコロナワクチンでも、その副作用に対する懸念が理由であり、せいぜい大企業による金儲けへの反発があるくらいだろう。一方、欧米先進国では政府による個人の自由への侵害と受け止める人達が既に19世紀からいて、さらに宗教上の信条から人工的な細工は不要で自然のままの身体の抵抗力だけで充分、との考えもあるそうだ。また開発途上国では、政府やWHOに対して不信感を持つ人々が相当数おり、ワクチンだけでなく様々な政策に対する反発と一緒になって抵抗がおきる。これらを背景にして、ワクチンを投与されると自閉症になる、不妊になる薬物が入っている、などの様々な噂がうまれ、一部の人達の間で広まっていって、いつまでも消えない。さらに現在のインターネット社会では、一瞬にして噂が世界に広がるだけでなく、人口に対する比率としては少しであっても、彼らがネット上で集まって噂を共有し、団結してアピールしている。さらには、ポピュリズムの政治家やいかがわしい「専門家」が自分の利益のために噂を利用する。
 著者はこれらの噂に対して、科学的な根拠によって抑え込もうとしても、一時的に消えるだけでまた再燃するとして、「世界中の人々が、公衆衛生上の目標に取り組み、人命を救うために、ますます多くのワクチンを求め、受け入れつづけるという思い込みには十分な根拠がないからだ」と言う。さらに「基本的な自由権、発言権をもち、敬意を払われるべきであるという深い信念に疑問の余地はない。これまで以上に、市民の感情、政治観、原則が複雑にからみあった関係に照らして、ワクチンに意味をもたせる必要がある」とする。
 私にとって本書は、ワクチン普及の専門家による驚きの主張で、では実際にどのようにして、というあたりで疑問も出るが、従来の「説得」が行き詰まっているのは確かなようであるから、スタンスとして一考の余地があるように思えた。フェイクニュース一般についても、単に無知を笑ったり、事実を主張し続けるだけではダメなのだろうか。