共有地をつくる わたしの「実践私有批判」2022年09月01日

平川克美 <ミシマ社・2022.2.20>

 イギリスのコモンズに類するものの話かな、と思ったことと、これまで著者の本を何冊か読んでそれなりに良い印象があったので読んでみた。
 マーク・ボイルの次にこの本を手に取ったのは偶然だったが、両者の方向性は基本的に同じで、ボイルの方が30歳ほど若いが、彼が懐かしむアイルランドの田舎と、本書の著者が思い出す、戦後の東京・蒲田の工業地帯は良く似ている。かつてはどちらも地域の結びつきが強く、隣近所でいろんなものを融通しあうのが当たり前だったが、経済成長によって大きく変わってしまった社会である。ボイルの父は無償で地域の人の自転車修理をしていたし、著者の父は町工場の親方で、早くからテレビがあった自宅にはいろんな人が見にきた、という。両著者とも物欲がなく(あるいはなくなり)、お金(私有財産)や現代の資本主義社会への疑問があり、仲間あるいは共同体への回帰も共通している。西ヨーロッパと東アジアの島国で、似たような感慨を持つ2人がいるのは興味深いが、考えてみれば当然なのかも知れない。2人の顕著な違いは年齢と、ボイルが6年間、企業勤めをしたのに対し(優秀な営業マンだったらしい)、著者はおそらく企業勤めをほとんどしたことがなく、20代の頃から企業の経営者であったことか。
 著書は生まれ育った「町の濃密なもたれあいの空気が嫌でたまらず」逃走したが、父親の介護をきっかけに町に戻り、父の死後は実家を売却して近くの賃貸マンションに住んでいるという。今は濃密なもたれあいを求めているわけではないが、かと言ってドライな都会生活を希望しているのでもなく、人とのつながりを大切にしているように感じられる。著者は長年、企業経営に携わっているものの、金儲けのためと考えていないことはこれまで読んだ彼の本から感じていたが、その目指していたことが「共有地をつくる」ことにつながっていることが理解できた。
 本書でいう共有地はコモンズとかなり趣きが異なり、本来、私有地であるところを共有地として解放し、いろんな人が自由に出入りできる場所をつくるということだった。著者は過去に経営したリナックス(オープンソースのコンピュータOS)開発拠点の会社の一角に、オープンソースの理念をリアルの場所としたような、自由に来て仕事や雑談ができるスペースを作った。また著者は以前から喫茶店で原稿書きをしていて、彼にとって喫茶店が逃れの街(アジール)だったとの思いがあり、現在は仲間とともにつくった「隣町珈琲」という喫茶店を地域の人がアジールとして利用できる場として提供するとともに、その片隅に自分の書斎のような場所を作っている。この喫茶店は子ども食堂としても利用されているというが、確かに全国に作られている子ども食堂は子どもやその親たちのアジールと言えるし、高齢者や障害者、他国から日本に来ている人々など、特にアジールを必要とする人達のために私有地を提供している話も聞くから、著者と共通する考え方を持ち、実践している人が日本各地にいると言える。
 著者は「消費資本主義(法人資本主義)から人資本主義へ」として、私有地を解放して共有地とすることによって、資本主義社会の辺境に、資本主義とは異なる原理で動く場所を作ろう、と提唱している。ボイルの場合と同じく、資本主義の世の中を簡単に変えることができないので、とりあえずその辺境で、それとは異なる生き方をしてみる、ということだ。本の内容は少し期待と違ったが、著者の考え方には共感する部分もあり、ボイルほど極端でないので、今後の自分の生き方の参考になるかな、と思った。

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