「ちいさな社会」を愉しく生きる2025年04月11日

 たまたま図書館の新刊置き場で見て、自治会に関わるようになった今、住み良いコミュニティにする具体的なヒントがあればと思って読んだ本。著者は東大教育学部教授で、専門とする社会教育学・生涯学習論とは「人々が楽しく幸せに暮らすために、どのような日常の営みがあり、それと学びとの関係はどうなっているのかを考え、その学びを実践する学問」とのこと(著者の「『つくる生活』がおもしろい」より)。イメージがつかみにくい学問だが、おそらく本書が「学びの実践」の具体例なのだろう。
 「ちいさな社会」とは、著者が「人々が楽しく幸せに暮らすために」必要と考えるコミュニティであり、本書では著者の大学ゼミがその立ち上げに関わった3つの例を取り上げている。残念ながら自分のコミュニティに直ぐに応用できそうなヒントは得られなかったが、その考え方は理解できて納得もしたので、いずれ参考にすることがあるかも知れない。
 1つ目の例は17年前から続いている東京・世田谷区の空き家を使った「岡さんのいえTOMO」と呼ばれる取り組みで、「地域の人たちのために使って」との遺言とともに家を引き継いだオーナーの協力依頼から始まった。当初はゼミの学生たちが中心となって「留学生との餃子パーティや子どもたち向けの寺子屋、駄菓子屋と昔遊びなどのイベントなど、いろいろ取り交ぜて、思いつくままになんでもかんでもやってみた」という。よからぬことをやっているという噂も出たそうだが、子どもたちが「おもしろそう」と次々と集まってきて、そのうち学校の先生、保護者、地域の高齢者を巻き込んでいった。目指しているのは「多世代で交流する『まちのお茶の間』づくり」で、現在では世田谷区の外郭団体「世田谷トラストまちづくり」が支援する「地域共生のいえ」の一つとなり、参加者の思いつくままにいろんなイベントその他が行われている。マスコミに取り上げられて全国の自治体から視察が来るようになり、さらにはNHKワールドジャパンが世界に発信すると「高齢社会日本の新しいまちづくりの取り組み」としてアジア各地からも訪問者が来たという。しっかりしたホームページもあって、来年の夏までのスケジュールが載っていた。確かに凄そう。
 空き家は全国に増え続けているが、実際に空いている家は少なく、貸してくれる大家さんも多くない、という。そもそも空き家は個人の所有物であり、さらに普通の家のように仏壇や家具、生活用品などが置いてあって、そこから人がいなくなっただけだからだ。その状況を突破するのに、先ずはまちのみんなで、掃除しますよ、と持ちかけて大家さんと一緒になって大掃除をする。掃除するうちに家の価値がみんなに伝わって、みんなで使いたいから貸してくれないか、との話になり、みんなが責任を持って使ってくれるならありがたい、と活用が始まることが多いという。実際に日本でどれほどの空き家がこの例のように活用されたか、は載っていないが、「私設公民館」を作る方法として、なるほどね、という感じか。
 次の例は千葉県柏市の「限界(戸建て)団地」に住む高齢者からの相談がきっかけで始まったプロジェクト。ここでは著者の提案で対象を団地から小学校区まで広げて、子どもたちと高齢者を結びつける世代交流型のコミュニティを作った。地元のあらゆる団体に声をかけてそれぞれのリーダー格の人に参加してもらって実行委員会を立ち上げ、場所は行政が提供した公共施設の空き車庫を住民総出で改装して、居心地の良いカフェにしつらえた。オープンから既に12年、1日の利用者は平均120名というからかなりの規模と言えるだろう。週の半分を地域のグループによる活動の日、半分を自由に利用できる日としてあり、グループ活動の時間は半年先まで埋まっていて時間の取り合いになるほど活用されている(当方の自治公民館はほとんど空いている)。子どもたちが日常的に立ち寄り、地元の高齢者は登下校時の見守りと声がけをしたり、グループ活動に子どもを招いたり、地域の清掃活動を行ったりと、多世代交流があちこちで進められている。また学校との連携も強く、土曜授業や放課後子ども教室をこの実行委員会が担当し、学校の環境整備にも力を入れて、さらには学校の校外行事に同伴して先生方の負担を減らすなど、学校運営になくてはならない存在になっている、という。ここも大成功したケースのようだ。
 うまくいくコツはともかく「楽しく」で、やらされ感は大敵。人が顔を突き合わせて認め合えるような小さな関係づくりから始め、皆が自分ごととして関わり、異質を排除せず、ネットワークを広げるというより、ドットを増やす。無理して新人を獲得したり、後継者を育成したりすることはしない。目的のために何をすべきか、ではなく、何が楽しいかは人それぞれなので、集まった人たちで楽しいことを始めることがキモのようだ。実際、ゼロからそれなりの活動が起きてくるまでの火の付け方が難しいだろうと思うので、楽しく始めるノウハウをもっと知りたいところだ。
 中高生くらいの世代が「自治をやる」という言葉を使うとか。地下アイドル・Aちゃんの追っかけは自治ができてるけど、Bちゃんのは自治ができてない。自治ができている追っかけは皆で協調し、周囲にも配慮して後片付けや掃除も手伝うなど、追っかけの皆が仲間として楽しむのに対し、自治ができていない追っかけはバラバラで皆で楽しむ感じがない。実際にそんな例があるのかとも思うが、イメージはわかる。日本代表サッカーのサポートたちが、試合のあとの観客席を綺麗にして帰るという話を思い出した。
 3つ目の例は那覇市若狭公民館が実践してきた「パーラー公民館」で、大ぶりのビーチパラソルとそれを支えるテーブルを公園などに置くだけでできる移動式の公民館。中心メンバーにはアーティストが多く、かなり独特で、いろんなバリエーションがあって、私には一番遠い感じがしたので詳細は省略。
 最後の章では、大企業の役員経験者を中心に組織された一般社団法人「ディレクトフォース」を紹介し、その素晴らしさとともに弱点を指摘しているが、縁遠い話なのでこれも省略。
 最初の2つの例は自治会/町内会や公設の公民館、社協などとは別の組織を立ち上げて作った点が興味深い。2つ目は公共施設だった場所を利用しているので、最初から少し公的な要素もあるが、「岡さんのいえ」は極めて個人的なところから立ち上げて、公的サポートは後からついてきた。都会だからできるのだろうか。
 本書の3つの例はどれも非常にうまくいったケースと思うが、うまくいかなかった例についても知りたかった。「幸福な家庭はどれも似ているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」のアンナ・カレーニナ原理のように、おそらく失敗(あるいは大成功とは言いにくい)例にはいろんな原因があり、それを知ることも実地のコミュニティづくりに参考になるように思うのだが。

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