菌類が世界を救う キノコ・カビ・酵母たちの驚異の能力2022年08月06日

マーリン・シェルドレイク (鍛原多惠子訳)<河出書房新社・2022.1.30>

 菌類は、植物界および動物界と並ぶ「菌類界」を構成する真核生物であり、同じ「菌」と称されるが核のない細菌(原核生物)とは全く別の生物である。ビールやパンの発酵に使われる酵母は単細胞生物であるが、ほとんどの菌類は多細胞生物で、菌糸を形成してカビと呼ばれ、それが子実体を作ればキノコと言われる。私が若い頃は真菌と呼ばれていたと思うが、今は菌類の方が普通のようだ。これまで菌類の本は全く読んだことがなかったので、本書は菌類全般の知識の整理に非常に役立ったとともに、生態系における菌類の重要性や興味深い役割について知らないことが多く、充分に面白かった。最近では菌類の応用研究が広がってきて「世界を救う」ほどになったということで、やや大袈裟なタイトルとは思ったが、本書を読み終わってみると、環境保全が喫緊の課題である今の世界では、確かに菌類が重要な働きをする可能性を秘めていることには同意できる。但し「世界を救う」のはまだ依然として可能性の段階であり、その歩みは遅く、間に合うのか、という気もするが。
 「地球上で起きる大半のできごとはこれまでも菌類の活動だったし、これからもそのことにかわりはない」という。植物が約5億年前に陸に上がったのは菌類が根の役目を果たしたから成し得たことであり、今でも植物の90%以上が菌根菌という菌類に依存している(菌根菌を経由して土壌中のミネラル等を得る)。そもそも「土壌」と呼ばれるものは菌類がいなければ存在しない。一方、菌類は光合成をしない従属栄養生物であり、植物から栄養(糖分)をもらう共生関係にある。但し、ヒトにとってキノコは食料でも毒物でもあり、有用なカビ(私の好きなブルーチーズ等)もあれば病原性のあるカビもいるのと同様に、植物に対して病原性を示す菌類もいて、両者の関係は非常に複雑である。
 菌類には、世界最大の生命体と言われるナラタケ類がある。現在、最大とされるのは米国オレゴン州にあるオニナラタケで、重さ数百トン、10平方kmにわたって広がっており、年齢は2000 - 8000歳とされる。ここでは膨大な量の菌糸体によるネットワークが森林の植物をつないでいて、このような構造をウッド・ワイド・ウェッブ(WWW)と呼ぶ。確かに、中央に司令塔はなく、インターネットとの類似を連想させる。オニナラタケは病原性があるとのことなので、ここの樹木には迷惑を被っているものもあるだろうが、WWWによって幼木は大木から栄養をもらったり、害虫に襲われた木が警戒警報を他の樹木に送るなど、森の生態系で重要な役割を担っている。植物の個体はバラバラに生きているように見えるが、動物のようにお互いに助け合うこともあるのだ。WWWについては以前、「樹木たちの知られざる生活」という名著を読んで知っていたが、菌類の側から見た世界はまた新鮮だった。山菜や野草を庭に植えるとき「土が合う」かどうかという話を聞くが、少なくともその重要な一部は菌類なのだろう。畑の土壌についても考えさせられることが多々あった。
 その他、昆虫を殺しながら胞子を拡散させる菌類(ゾンビ菌)や、光合成をしない菌従属栄養植物など興味深いことがいろいろあったが、最後に「地球を救う」可能性について。菌類には有毒なタバコの吸殻、グリホサート系の除草剤、毒ガス成分であるメチルホスホン酸ジメチル、クロロフェノールなどの殺虫剤、原油、一部のプラスチックなどを分解できるようになったものがある。放射能をエネルギー源にできる菌類もいるという。但し、それらは他の栄養分を除いて、それだけを与えて育てて誘導させてできたものであり、汚染の現場でも同様に能力を発揮するかどうかはまた別の話となるが、実際にこのような菌類を用いて、汚染された生態系を回復させた実例もあるそうだ。また現在、プラスチックその他で作られていて環境を汚染している様々なもの(例えば発泡スチロール)を菌類を用いて代替品を作る企業もあるという。
 植物の立場の本は様々あるが、菌類を主役にした本は非常に少ない。メモには記さなかったが本書には人類学的あるいは社会学的な考えまでも織り交ぜられていて、かなりレベルの高い本と思った。著者はイギリスの若い菌類研究者で、菌類に対する愛が溢れていると感じられる。国際的なベストセラーになったそうだが、菌類に世界を救ってもらうには、この内容がもっと広く知られ、活用される必要がある。その障害になっている何かがあるのだろうか。