ジョブ型雇用社会とは何か 正社員体制の矛盾と転機2022年10月10日

濱口桂一郎 <岩波新書・2021.9.17>

 私にとって全く学んだことのない分野であるが、日本人の生活を考える上で労働環境の理解は重要だろうと思い、手軽な新書ということもあって読んでみた。著者は旧労働省の時代から長らく労働政策に関わってきた官僚であり、しばらくEUにもいたとのことで、ヨーロッパの事情にも詳しいらしい。
 年功序列による給与体系、新卒一括採用、人事異動による転勤、中高年社員への肩たたきや追い出し部屋、企業別組合など、日本に特徴的と言われる事柄について、マスコミを通してバラバラには知識として知っていたつもりだったが、それらの関連については真面目に考えたこともなかった。本書によれば、それらは全て密接に関係していて、その最も本質的なことは雇用が、諸外国のジョブ型ではない、日本特有のメンバーシップ型(いずれも著者が命名したらしい)にあるという。日本の労働にまつわる問題の歴史的経緯や、その場しのぎの対策が複雑に絡み合った現状が何となく理解できた気がする。
 日本以外の国で行われている雇用は全てジョブ型で、先ず職務記述書(Job Description)があり、そのジョブに対する賃金が決まっていて(人ではなく椅子に値段がつく)、ジョブに必要なスキルを有する人を雇用する。従って原則はいつも欠員募集であり、該当するジョブが無くなれば解雇されることになる(但し、アメリカを除く全ての国で解雇規制はある)。スキルは一般に経験者の方が高いから、若者に失業者が多く、また同様のスキルを有する労働者は同様のジョブにつくから、その賃上げを要求するために産業別に団結して組合をつくる。一方、日本はジョブを限定せずに、新卒を一括採用して、会社のメンバーとして迎える。新入社員に具体的な労働スキルを求めず、人の「潜在能力」で判断して入社させ(著者はiPS細胞と呼ぶ)、会社に入ってから必要なスキルを身につけさせる(OJT, On the Job Training)。社員のジョブは会社の都合によって一方的変えることができ(ジョブ型雇用ではありえない)、配置転換や転勤を指示できる(社員に拒否権はない)。新たなジョブへの適応力が下がってきた高齢者(老化したiPS細胞)は会社にとって不要となり、肩をたたかれ追い出し部屋に送られる(もちろん一部ではあるが)。1970年代後半から1990年代前半までの20年間、日本の経済が好調だったことから、日本独特のメンバーシップ型の雇用システムが競争力の源泉としてもてはやされたが、以降の凋落により今では日本もジョブ型に変えるべきという風潮になっているらしい。しかし日本では「メンバーシップ型」の仕組みが人々に深く根付いているため、現在、日本で議論されている「ジョブ型」が非常に誤解の多い扱いをされている、というのが著者が本書を書く動機となっている。
 上述の日本の状況は主に大企業のことであり、国内の大部分を占める中小企業は状況がかなり異なるが、職務記述書はなく会社の都合でジョブを変更されることは変わりないようだ。また海外の話が先進国だけなのか、全てなのかはわからなかったが、少なくとも大企業については全てジョブ型雇用なのかも知れない。
 あまりに多くの知らなかったことが載っていて、到底全部を網羅できないが、驚いたことをいくつか。今の日本の給与体系は、戦前の軍人が提唱した「生活給」が基になっており、労働の中身より、男が結婚し子供を育てるのに必要なお金、という考え方から成り立っている。そのため給与は年功序列で上がっていくことになり(勤続年数と定期昇給)、これまで当たり前のようにもらっていた家族手当や児童手当もその考えからくる。ところが年功序列で上がっていく給与は現在、建て前としては経験を積んで得られる「能力」の向上で説明されていて、したがって「能力」は低下しないことになっている。しかしその「能力」は具体的なジョブを想定しないため、スキルのような実態はなく、「職務遂行能力」という測定困難な、日本以外の国からみたら極めて奇妙なものとなる。さらに1990年代から、下がった「能力」に見合う給与に下げるために「成果主義」による評価を持ち込んだが、会社の都合で割り振ったジョブで、さらに多くが集団で得られる成果であることから、個々に評価することが難しく失敗に終わった、としている。
 またジョブ型雇用では、管理職は採用時から別扱いであるが(ジョブがそのように規定されている)、日本ではエリートもノンエリートも区別なく採用され、昇進によって管理職になる。アメリカのビジネススクール(大学院相当)や、フランスのエリート養成校は知っていたが、これらはジョブ型雇用の社会では一般的なようで、そこを修了することが直接、エリートである管理職への道につながり、高給を得られるようになるらしい。確かに日本ではいわゆる一流大学を卒業しても、少なくとも見かけ上、就職時には他大学出身者と同じスタートラインに立つ。
 男女平等や、外国人、障害者の扱いなどについて、日本も国際情勢に合わせた対応を求められ、そのための法整備をしたようだが、元々が上述のような雇用および給与体系であるため、それぞれ様々な矛盾を孕んだものとならざるを得ない。さらに同一労働同一賃金(社内でジョブを移る日本で全員を対象とすることは不可能)、労働争議における金銭解決(日本では法制化されていない)、企業内組合の位置付け(任意加入、多くが非正規を入れていない、名ばかりの管理職でも組合から外れる)などの問題も全てメンバーシップ型雇用にからんでいる。日本も諸外国と同じくジョブ型雇用にすることで多くの矛盾が解消しそうに思えるが、著者は、日本の企業がジョブ型雇用を採用することに非常に懐疑的であり、社員を自由に配置できる、企業側にとって使い勝手の良いメンバーシップ型雇用を手放すとは考えられないようだ。要するに、日本におけるこれらの労働問題の明快な解決法はない、というのが現状のようで、本書を読んでわかったことと言えそうだ。