家事か地獄か 最期まですっくと生き抜く唯一の選択 ― 2025年05月11日
稲垣えみ子 <マガジンハウス・2023.5.25>
ちょうど1年前に読んだ。著者は元・朝日新聞論説委員、編集委員。NHKの番組から髪の毛の容積が巨大な女性として知っていたが、人となりは全く知らなかった。50歳で退職してその後は定職を持たず、江戸庶民の長屋暮らしを理想とした生活に一変させて極めてハッピーになった、という話。以前に読書メモを残した「ほくはテクノロジーを使わずに生きることにした」のマーク・ボイルほど極端ではないが、洗濯機、冷蔵庫、掃除機などの家電は使わず、調理はカセットコンロ1台のみで一汁一菜の食事。狭いアパート住まいで収納が無いので衣服も最低限のみ。会社員時代は着飾ってグルメ大好き、高級マンション暮らしだったというから、そういう生活も知っていながら、既に10年続けた今の状態が最高で、死ぬまでこれを続けるそうだから本気のようだ。逆に年老いて身体が動かなくなったときこそ、このスタイルが生きやすい、という。家事に割く時間は1日30分か40分、仕事は午前と午後に近所の喫茶店での執筆で、あとは好きなことをして遊んでいる。買い物や食事、銭湯などはご近所の馴染みの店にいき、地域の人との繋がりを大事にしている。きっかけは福島原発事故で、電気に頼らない生活を目指したところから始まったそうだが、そこからの激変は凄まじい。書いてある通り、本人にも新発見の連続だったのだろう。基本的な考え方は上記のマーク・ボイルや私と同類で、ボイルと私の間にいる感じ。本書のあと彼女の著書数冊を読んだので、以下はそれらも含めて、私と同類と感じたこと。
先ず似ていると思ったのは細かいことだが家庭菜園と食事。彼女の場合はベランダのプランターだが、自分で作った野菜は客観的に不味くても、美味しいと思って食べられること。味よりも自分が作ったという満足感が勝る、というのは良くわかる。他人との比較に関心はなく、自分がどう感じるかが大事。お金は生活に必要な分だけあればよく、贅沢をするためにお金を稼ぐことはしない(以前の著者は良い生活のため必死に稼いでいた)。家事に割く時間は最低限というのも、方法は違うが結果は同じ。但し著者が生活を極めてシンプルにしたら必要な家事が激減したのに対して、私は意識して家事を減らしているので、終わった後のすっきり感は全くない。
本書を含めた彼女の著書から影響を受けたのは、以前から考えていた乾燥野菜を作ろう、ということくらいだが、マーク・ボイルよりもっと近い同類を知って意気投合、の感じに近いのかも知れない。
ちょうど1年前に読んだ。著者は元・朝日新聞論説委員、編集委員。NHKの番組から髪の毛の容積が巨大な女性として知っていたが、人となりは全く知らなかった。50歳で退職してその後は定職を持たず、江戸庶民の長屋暮らしを理想とした生活に一変させて極めてハッピーになった、という話。以前に読書メモを残した「ほくはテクノロジーを使わずに生きることにした」のマーク・ボイルほど極端ではないが、洗濯機、冷蔵庫、掃除機などの家電は使わず、調理はカセットコンロ1台のみで一汁一菜の食事。狭いアパート住まいで収納が無いので衣服も最低限のみ。会社員時代は着飾ってグルメ大好き、高級マンション暮らしだったというから、そういう生活も知っていながら、既に10年続けた今の状態が最高で、死ぬまでこれを続けるそうだから本気のようだ。逆に年老いて身体が動かなくなったときこそ、このスタイルが生きやすい、という。家事に割く時間は1日30分か40分、仕事は午前と午後に近所の喫茶店での執筆で、あとは好きなことをして遊んでいる。買い物や食事、銭湯などはご近所の馴染みの店にいき、地域の人との繋がりを大事にしている。きっかけは福島原発事故で、電気に頼らない生活を目指したところから始まったそうだが、そこからの激変は凄まじい。書いてある通り、本人にも新発見の連続だったのだろう。基本的な考え方は上記のマーク・ボイルや私と同類で、ボイルと私の間にいる感じ。本書のあと彼女の著書数冊を読んだので、以下はそれらも含めて、私と同類と感じたこと。
先ず似ていると思ったのは細かいことだが家庭菜園と食事。彼女の場合はベランダのプランターだが、自分で作った野菜は客観的に不味くても、美味しいと思って食べられること。味よりも自分が作ったという満足感が勝る、というのは良くわかる。他人との比較に関心はなく、自分がどう感じるかが大事。お金は生活に必要な分だけあればよく、贅沢をするためにお金を稼ぐことはしない(以前の著者は良い生活のため必死に稼いでいた)。家事に割く時間は最低限というのも、方法は違うが結果は同じ。但し著者が生活を極めてシンプルにしたら必要な家事が激減したのに対して、私は意識して家事を減らしているので、終わった後のすっきり感は全くない。
本書を含めた彼女の著書から影響を受けたのは、以前から考えていた乾燥野菜を作ろう、ということくらいだが、マーク・ボイルよりもっと近い同類を知って意気投合、の感じに近いのかも知れない。
サイボーグになる テクノロジーと障害、わたしたちの不完全さについて ― 2025年05月05日
キム・チョヨブ/金草葉、キム・ウォニョン/金源永(牧野美加・訳)<岩波書店・2022.11.17>
後天性難聴の障害を有し、大学では自然科学を専攻したSF作家の女性(チョヨブ、1993年生まれ)と、生まれつき骨が弱い骨形成不全症のために3歳までに少なくとも10回以上の骨折を経験した弁護士で作家、パフォーマーでもある男性(ウォニョン、1982年生まれ)が章ごとに交互に書き、最後に対談が載っている。同じ論点を違う表現で繰り返して取り上げるなど、全体の統一性に少し不満が残ったが、全体としては充分に読む価値のある本と思った。対談では両者とも自分がどう感じているか、どう考えているのかを非常に率直に語っていて、彼らの問題意識が広く、深いことも感じられた。
2人は約10歳の年齢差に加えて性別、専門性も異なるが、ともに10代半ばにそれぞれ補聴器、車椅子を使い始めたという共通点があり、当事者として本書のテーマを語っている。マイノリティ当事者が支援に関して書いた本という意味で「当事者は嘘をつく」と共通しており、どちらの場合も多くの支援者は上から目線で、当事者を画一的に見るため、当事者本人の意向を尊重するわけではない、と主張していると理解した。
本タイトルを見たときは、補助器具を使っている障害者を「サイボーグ」と呼ぶことに違和感があったが、本書によれば障害当事者が自らをサイボーグと考えることは稀というから、世間の呼称を使って世の中に問いかけたと思われる。サイボーグという言葉はCybernetic と Organism からできた造語で、人間を宇宙に送るために考案されたそうで、「テクノロジーによって改造された新しい形態の人間で、臓器移植や薬物の注入、機械との結合などによって、極限の宇宙環境でも生存できるよう増強された人間を意味する」ものだった。
科学技術の飛躍的な発展により障害を補う様々な機器が作られ、著者らを含めた多くの障害者に利用されている。さらに、たとえば階段を登る車椅子など画期的な補助機器も開発されている。また医療の面では、障害の治療法や新薬などに莫大な投資が行われ、いずれ障害者も非障害者と全く同じように生活できる未来が待っている、かのようなお伽話が語られている。しかし現実では、障害者には貧困に喘いでいる人が多く、最先端の高価な機器を使えるのはごく限られた人であり、また購入できるほど裕福な人でも他人の視線に耐えるという別の試練もある。
障害を治療する医療についても著者らは懸念を表明する。確かに遠い未来の素晴らしい世界のために研究を続けることは必要であろうが、今、現実に困っている障害者が生きやすいようにすることも重要であり、そのバランスが金銭面でも社会の関心でも、前者に偏り過ぎている、と彼らは考えている。
世の中には障害学なる学問があり、そこでは「障害は損傷した身体を持つ一個人の問題ではない、損傷と相互作用する社会や環境が特定の身体を『障害化」するのだ』と主張されている、という。障害を治療の対象と捉える「障害の医療モデル」に対して、「障害の社会モデル」では物理的な施設や社会制度を変えることによって障害を解消することを目指す。
聴覚障害は目に見えないため、補聴器を使うことは障害の可視化に繋がり、聴覚障害者は社会的スティグマを嫌がって補聴器を付けないことが多い。高齢に伴う聴覚障害の場合でも同様で、私の周囲にもそういう高齢者がいるし、自分がそうなった場合を考えても如何にもありそうだ。「歩行車ではなく松葉杖を使い、あまり楽ではないけれど『脚のように見える』義足をつけ、リアルタイムで字幕を表示してくれるプログラムを使う代わりに、全神経を集中させて相手の口の形を見つめる人たち、つまりサイボーグなることよりならないことを、隠れたサイボーグとして生きることを選ぶ人たちが、ここにいる。スティグマ、非障害者のふりをして生きたいという切望、ありのまま受け入れてもらいたいという思い、それらのはざまで障害者は絶えず緊張の中に置かれている。スティグマが強い社会であるほど、障害や病気を抱える人たちはそれを隠すことを選択をする。」目立つことは悪いことであり、多数の人と同じことが重要な日本では特にそうだろう。
種々のマイノリティの話と同様に、障害を正常に対する異常と捉えるのではなく、多様性の一部とする考え方が障害者の中で広がっている。障害を恥じたり否定したりしないという強固な自己認識に基づき、自分の障害は単なる差異や違いに過ぎないのであれば、その障害を治すために時間や費用をかけるのは矛盾していると考える。その先にあるのが、日本の脳性麻痺の障害者で尊敬を集めているという人権活動家が放ったという言葉「ぼくは障害を治す薬ができても飲みません!」である。その考えをどれほどの障害者が支持するかわからないが、理屈でいけばそうなるのは理解できる。ただ、もし私が同じ境遇にいたら、たとえ理屈ではそうでも、そのように考え行動するとは想像しにくい。
その他にもいくつかの主張があったがカットして、印象に残ったことをいくつか。
「感動ポルノ」とは、非障害者に感動やインスピレーションを与えるための道具として障害者をモノ扱いするマスコミやメディアを批判する表現。
性的マイノリティが自らをクィア(queer:奇妙な、風変わりな)と呼ぶように、障害者が自らをクリップ(crip:不具)と呼ぶことで障害に対する蔑みを逆手に取り、非障害者中心主義や「正常性の規範」に積極的に抵抗する。「クリップ・テクノサイエンス宣言」では、これまでおもに非障害者の専門家が障害者のために技術を開発する、という構図を覆し、障害者や障害者コミュニティが自ら築き上げるテクノポリティックスの実現を目標とする。やはりどこか「当事者は嘘をつく」の小松原織香の考え方と重なり、一方的で寄り添う姿勢のない支援者に対するマイノリティの主張と思った。
後天性難聴の障害を有し、大学では自然科学を専攻したSF作家の女性(チョヨブ、1993年生まれ)と、生まれつき骨が弱い骨形成不全症のために3歳までに少なくとも10回以上の骨折を経験した弁護士で作家、パフォーマーでもある男性(ウォニョン、1982年生まれ)が章ごとに交互に書き、最後に対談が載っている。同じ論点を違う表現で繰り返して取り上げるなど、全体の統一性に少し不満が残ったが、全体としては充分に読む価値のある本と思った。対談では両者とも自分がどう感じているか、どう考えているのかを非常に率直に語っていて、彼らの問題意識が広く、深いことも感じられた。
2人は約10歳の年齢差に加えて性別、専門性も異なるが、ともに10代半ばにそれぞれ補聴器、車椅子を使い始めたという共通点があり、当事者として本書のテーマを語っている。マイノリティ当事者が支援に関して書いた本という意味で「当事者は嘘をつく」と共通しており、どちらの場合も多くの支援者は上から目線で、当事者を画一的に見るため、当事者本人の意向を尊重するわけではない、と主張していると理解した。
本タイトルを見たときは、補助器具を使っている障害者を「サイボーグ」と呼ぶことに違和感があったが、本書によれば障害当事者が自らをサイボーグと考えることは稀というから、世間の呼称を使って世の中に問いかけたと思われる。サイボーグという言葉はCybernetic と Organism からできた造語で、人間を宇宙に送るために考案されたそうで、「テクノロジーによって改造された新しい形態の人間で、臓器移植や薬物の注入、機械との結合などによって、極限の宇宙環境でも生存できるよう増強された人間を意味する」ものだった。
科学技術の飛躍的な発展により障害を補う様々な機器が作られ、著者らを含めた多くの障害者に利用されている。さらに、たとえば階段を登る車椅子など画期的な補助機器も開発されている。また医療の面では、障害の治療法や新薬などに莫大な投資が行われ、いずれ障害者も非障害者と全く同じように生活できる未来が待っている、かのようなお伽話が語られている。しかし現実では、障害者には貧困に喘いでいる人が多く、最先端の高価な機器を使えるのはごく限られた人であり、また購入できるほど裕福な人でも他人の視線に耐えるという別の試練もある。
障害を治療する医療についても著者らは懸念を表明する。確かに遠い未来の素晴らしい世界のために研究を続けることは必要であろうが、今、現実に困っている障害者が生きやすいようにすることも重要であり、そのバランスが金銭面でも社会の関心でも、前者に偏り過ぎている、と彼らは考えている。
世の中には障害学なる学問があり、そこでは「障害は損傷した身体を持つ一個人の問題ではない、損傷と相互作用する社会や環境が特定の身体を『障害化」するのだ』と主張されている、という。障害を治療の対象と捉える「障害の医療モデル」に対して、「障害の社会モデル」では物理的な施設や社会制度を変えることによって障害を解消することを目指す。
聴覚障害は目に見えないため、補聴器を使うことは障害の可視化に繋がり、聴覚障害者は社会的スティグマを嫌がって補聴器を付けないことが多い。高齢に伴う聴覚障害の場合でも同様で、私の周囲にもそういう高齢者がいるし、自分がそうなった場合を考えても如何にもありそうだ。「歩行車ではなく松葉杖を使い、あまり楽ではないけれど『脚のように見える』義足をつけ、リアルタイムで字幕を表示してくれるプログラムを使う代わりに、全神経を集中させて相手の口の形を見つめる人たち、つまりサイボーグなることよりならないことを、隠れたサイボーグとして生きることを選ぶ人たちが、ここにいる。スティグマ、非障害者のふりをして生きたいという切望、ありのまま受け入れてもらいたいという思い、それらのはざまで障害者は絶えず緊張の中に置かれている。スティグマが強い社会であるほど、障害や病気を抱える人たちはそれを隠すことを選択をする。」目立つことは悪いことであり、多数の人と同じことが重要な日本では特にそうだろう。
種々のマイノリティの話と同様に、障害を正常に対する異常と捉えるのではなく、多様性の一部とする考え方が障害者の中で広がっている。障害を恥じたり否定したりしないという強固な自己認識に基づき、自分の障害は単なる差異や違いに過ぎないのであれば、その障害を治すために時間や費用をかけるのは矛盾していると考える。その先にあるのが、日本の脳性麻痺の障害者で尊敬を集めているという人権活動家が放ったという言葉「ぼくは障害を治す薬ができても飲みません!」である。その考えをどれほどの障害者が支持するかわからないが、理屈でいけばそうなるのは理解できる。ただ、もし私が同じ境遇にいたら、たとえ理屈ではそうでも、そのように考え行動するとは想像しにくい。
その他にもいくつかの主張があったがカットして、印象に残ったことをいくつか。
「感動ポルノ」とは、非障害者に感動やインスピレーションを与えるための道具として障害者をモノ扱いするマスコミやメディアを批判する表現。
性的マイノリティが自らをクィア(queer:奇妙な、風変わりな)と呼ぶように、障害者が自らをクリップ(crip:不具)と呼ぶことで障害に対する蔑みを逆手に取り、非障害者中心主義や「正常性の規範」に積極的に抵抗する。「クリップ・テクノサイエンス宣言」では、これまでおもに非障害者の専門家が障害者のために技術を開発する、という構図を覆し、障害者や障害者コミュニティが自ら築き上げるテクノポリティックスの実現を目標とする。やはりどこか「当事者は嘘をつく」の小松原織香の考え方と重なり、一方的で寄り添う姿勢のない支援者に対するマイノリティの主張と思った。
土偶を読むを読む ― 2025年04月19日
望月 昭秀ほか <文学通信・2023.4.28>
昨春に読んだ本。今回、メモを作るために再度借りてきたが、全体を読み直す気が起きず、ほんの少しの拾い読みで済ませたので、以下は1年前の記憶。
本書では、以前に読書メモを残した「土偶を読む」を考古学者たちが徹底的に批判して、土偶は食用植物をかたどったフィギュアだという竹倉説を木っ端微塵にしている。これはこれで充分に説得力があり、納得させられた印象が残っている。ネットで調べても今の時点で竹倉からの反論は全くないようで、本書の著者らが竹倉との討論会を本人や「土偶を読む」を出版した晶文社に申し込んだが断られた、との記事が見つかった。
以前のメモで絶賛したように、私も「土偶を読む」を感心しながらとても面白く読み、専門家の意見を聞きたいと思っていたが、結論としては素人が事実に反するデータを示して奇想天外な説を出しただけ、ということで終わったようだ。やはり専門家の意見を聞いてから判断しないとわからない、ということか。
昨春に読んだ本。今回、メモを作るために再度借りてきたが、全体を読み直す気が起きず、ほんの少しの拾い読みで済ませたので、以下は1年前の記憶。
本書では、以前に読書メモを残した「土偶を読む」を考古学者たちが徹底的に批判して、土偶は食用植物をかたどったフィギュアだという竹倉説を木っ端微塵にしている。これはこれで充分に説得力があり、納得させられた印象が残っている。ネットで調べても今の時点で竹倉からの反論は全くないようで、本書の著者らが竹倉との討論会を本人や「土偶を読む」を出版した晶文社に申し込んだが断られた、との記事が見つかった。
以前のメモで絶賛したように、私も「土偶を読む」を感心しながらとても面白く読み、専門家の意見を聞きたいと思っていたが、結論としては素人が事実に反するデータを示して奇想天外な説を出しただけ、ということで終わったようだ。やはり専門家の意見を聞いてから判断しないとわからない、ということか。
当事者は嘘をつく ― 2025年04月18日
小松原 織香 <筑摩書房・2022.1.26>
何年も前から読みたいと思っていた本。いわゆる「当事者研究」ではなく、当事者が苦しみ抜いて研究者となり、事件から20年以上たってカミングアウトした話である。NHK「こころの時代」で著者の言葉を聞いてさらに興味を持ち、読み終えたあとにまた録画を見直した。
最初に著者が苦闘の末にたどり着いた「回復の物語」を記す。
「私は19歳のときに性暴力の被害に遭いました。その後、トラウマに苦しみ、死を考えるほど追い詰められていました。でも、自助グループにであって、自分の経験を仲間たちと分かち合うなかで、回復することができました。それから、私はもっと性暴力の問題を追求したいと考え、大学院に進学しました。いまは研究者として活動しています。」
本書はこの経過の詳細を描いたもので、その時々にどのような状態で、どう考え、どう行動したか、を研究者らしい目線で分析している。
著者は、性暴力被害者に限らず、様々な原因でトラウマを抱える若い人が今後の人生を考える上で、あるいはそのような当事者の心情を理解するのに役立つかも知れないと考えて本書を書いた、という。「この本の目的は、性暴力の被害を告発することでも、被害者の苦しみを訴えることでもない。過去の強烈な経験を引きずりながら生き延びるなかで私が見た風景を描くことだ。」「真実を明らかにするためではなく、私の生きている世界を共有するために。」
著者の研究テーマである「修復的司法 Restorative Justice」は、国家が犯罪者を処罰することで問題の解決をはかる刑事司法に対して、被害者と加害者の対話を中心に置いて問題解決を目指す。著者の研究内容は博士論文を書籍化した「性暴力と修復的司法ーー対話の先にあるもの」(西尾学術奨励賞受賞)でわかるだろうが、読んでないので知らない。司法による問題解決には被害者の回復と加害者の更生(再犯の防止)の両方が含まれると思うが、これまで私が関心を持って読んできた坂上香は後者の視点なのに対して、本書を読む限り著者の場合は前者にある。
著者のトラウマは精神科医療で全く改善されず、2年足らずの自助グループへの参加によって冒頭の「回復の物語」を得て生き延びた。また著者は性暴力被害者に対する善意の支援者に対して「顔が紅潮し、血が沸騰するような怒りで爆発寸前」になる経験をした。当事者が欲する「私を理解して欲しい」という願いを医者も支援者も受け止めることはなかった、という。(後に訪れたノルウェーの医療者なら寄り添ってくれただろうに、と涙したそうだ。)著者は加害者に対して殺したいほどの怒りをもつ時期もあったが、「赦し」を与えることを考え続けた。一方、医者やカウンセラー、研究者などの支援者は終始、著者にとって「敵」であり、彼らに対する怒りのエネルギーが著者を研究者にした、と私は理解した。
著者は当事者と研究者の狭間で苦悩しながらも、当事者であることを伏せたまま長らく研究を続けた。その葛藤も本書に詳細に記されている。著者は学位取得の目処が立った頃から水俣病の修復的司法に関心を持ち、当事者ではない単なる支援者として水俣の人々と接するようになった。すなわち自身が憎んだ立場に身を置いたときの「風景」も本書に記している。
タイトルは著者がいつも気にしていることで、無意識のうちに嘘をついているのではないか、自分の言葉に嘘が含まれていないか、という自省の気持ちを表しているが、もう一つ、当事者であることを隠して、単なる支援者のふりをして研究者を続けてきたことも含まれる。
著者が経験した「トラウマ」は私がこれまでイメージしていたものを遥かに超えていて、サバイバーという言い方が納得できた。またそれが著者だけに起きたのではないことは、多くの被害者の分析をした精神科医や被害者サバイバーの文章の中に「これは自分のことだ」と著者が感じたという言葉に表されている。本書は当事者だけが持つそのリアリティを、研究者目線で長期間に渡って記したことに価値がある。なるほど、そう思うのか、という記述が多数あった。性暴力に限らず、おそらく虐待なども含めた様々な被害者が同様の状態に陥る可能性があるのだろう。今後、もし私が支援者の立場になった場合はもちろん、マスコミなどで様々な当事者の言動に接してその状況を把握しようとする際にも、本書で読んだことが影響するだろう。少なくとも私に関して著者の目的は達成された、と思う。
何年も前から読みたいと思っていた本。いわゆる「当事者研究」ではなく、当事者が苦しみ抜いて研究者となり、事件から20年以上たってカミングアウトした話である。NHK「こころの時代」で著者の言葉を聞いてさらに興味を持ち、読み終えたあとにまた録画を見直した。
最初に著者が苦闘の末にたどり着いた「回復の物語」を記す。
「私は19歳のときに性暴力の被害に遭いました。その後、トラウマに苦しみ、死を考えるほど追い詰められていました。でも、自助グループにであって、自分の経験を仲間たちと分かち合うなかで、回復することができました。それから、私はもっと性暴力の問題を追求したいと考え、大学院に進学しました。いまは研究者として活動しています。」
本書はこの経過の詳細を描いたもので、その時々にどのような状態で、どう考え、どう行動したか、を研究者らしい目線で分析している。
著者は、性暴力被害者に限らず、様々な原因でトラウマを抱える若い人が今後の人生を考える上で、あるいはそのような当事者の心情を理解するのに役立つかも知れないと考えて本書を書いた、という。「この本の目的は、性暴力の被害を告発することでも、被害者の苦しみを訴えることでもない。過去の強烈な経験を引きずりながら生き延びるなかで私が見た風景を描くことだ。」「真実を明らかにするためではなく、私の生きている世界を共有するために。」
著者の研究テーマである「修復的司法 Restorative Justice」は、国家が犯罪者を処罰することで問題の解決をはかる刑事司法に対して、被害者と加害者の対話を中心に置いて問題解決を目指す。著者の研究内容は博士論文を書籍化した「性暴力と修復的司法ーー対話の先にあるもの」(西尾学術奨励賞受賞)でわかるだろうが、読んでないので知らない。司法による問題解決には被害者の回復と加害者の更生(再犯の防止)の両方が含まれると思うが、これまで私が関心を持って読んできた坂上香は後者の視点なのに対して、本書を読む限り著者の場合は前者にある。
著者のトラウマは精神科医療で全く改善されず、2年足らずの自助グループへの参加によって冒頭の「回復の物語」を得て生き延びた。また著者は性暴力被害者に対する善意の支援者に対して「顔が紅潮し、血が沸騰するような怒りで爆発寸前」になる経験をした。当事者が欲する「私を理解して欲しい」という願いを医者も支援者も受け止めることはなかった、という。(後に訪れたノルウェーの医療者なら寄り添ってくれただろうに、と涙したそうだ。)著者は加害者に対して殺したいほどの怒りをもつ時期もあったが、「赦し」を与えることを考え続けた。一方、医者やカウンセラー、研究者などの支援者は終始、著者にとって「敵」であり、彼らに対する怒りのエネルギーが著者を研究者にした、と私は理解した。
著者は当事者と研究者の狭間で苦悩しながらも、当事者であることを伏せたまま長らく研究を続けた。その葛藤も本書に詳細に記されている。著者は学位取得の目処が立った頃から水俣病の修復的司法に関心を持ち、当事者ではない単なる支援者として水俣の人々と接するようになった。すなわち自身が憎んだ立場に身を置いたときの「風景」も本書に記している。
タイトルは著者がいつも気にしていることで、無意識のうちに嘘をついているのではないか、自分の言葉に嘘が含まれていないか、という自省の気持ちを表しているが、もう一つ、当事者であることを隠して、単なる支援者のふりをして研究者を続けてきたことも含まれる。
著者が経験した「トラウマ」は私がこれまでイメージしていたものを遥かに超えていて、サバイバーという言い方が納得できた。またそれが著者だけに起きたのではないことは、多くの被害者の分析をした精神科医や被害者サバイバーの文章の中に「これは自分のことだ」と著者が感じたという言葉に表されている。本書は当事者だけが持つそのリアリティを、研究者目線で長期間に渡って記したことに価値がある。なるほど、そう思うのか、という記述が多数あった。性暴力に限らず、おそらく虐待なども含めた様々な被害者が同様の状態に陥る可能性があるのだろう。今後、もし私が支援者の立場になった場合はもちろん、マスコミなどで様々な当事者の言動に接してその状況を把握しようとする際にも、本書で読んだことが影響するだろう。少なくとも私に関して著者の目的は達成された、と思う。
「ちいさな社会」を愉しく生きる ― 2025年04月11日
たまたま図書館の新刊置き場で見て、自治会に関わるようになった今、住み良いコミュニティにする具体的なヒントがあればと思って読んだ本。著者は東大教育学部教授で、専門とする社会教育学・生涯学習論とは「人々が楽しく幸せに暮らすために、どのような日常の営みがあり、それと学びとの関係はどうなっているのかを考え、その学びを実践する学問」とのこと(著者の「『つくる生活』がおもしろい」より)。イメージがつかみにくい学問だが、おそらく本書が「学びの実践」の具体例なのだろう。
「ちいさな社会」とは、著者が「人々が楽しく幸せに暮らすために」必要と考えるコミュニティであり、本書では著者の大学ゼミがその立ち上げに関わった3つの例を取り上げている。残念ながら自分のコミュニティに直ぐに応用できそうなヒントは得られなかったが、その考え方は理解できて納得もしたので、いずれ参考にすることがあるかも知れない。
1つ目の例は17年前から続いている東京・世田谷区の空き家を使った「岡さんのいえTOMO」と呼ばれる取り組みで、「地域の人たちのために使って」との遺言とともに家を引き継いだオーナーの協力依頼から始まった。当初はゼミの学生たちが中心となって「留学生との餃子パーティや子どもたち向けの寺子屋、駄菓子屋と昔遊びなどのイベントなど、いろいろ取り交ぜて、思いつくままになんでもかんでもやってみた」という。よからぬことをやっているという噂も出たそうだが、子どもたちが「おもしろそう」と次々と集まってきて、そのうち学校の先生、保護者、地域の高齢者を巻き込んでいった。目指しているのは「多世代で交流する『まちのお茶の間』づくり」で、現在では世田谷区の外郭団体「世田谷トラストまちづくり」が支援する「地域共生のいえ」の一つとなり、参加者の思いつくままにいろんなイベントその他が行われている。マスコミに取り上げられて全国の自治体から視察が来るようになり、さらにはNHKワールドジャパンが世界に発信すると「高齢社会日本の新しいまちづくりの取り組み」としてアジア各地からも訪問者が来たという。しっかりしたホームページもあって、来年の夏までのスケジュールが載っていた。確かに凄そう。
空き家は全国に増え続けているが、実際に空いている家は少なく、貸してくれる大家さんも多くない、という。そもそも空き家は個人の所有物であり、さらに普通の家のように仏壇や家具、生活用品などが置いてあって、そこから人がいなくなっただけだからだ。その状況を突破するのに、先ずはまちのみんなで、掃除しますよ、と持ちかけて大家さんと一緒になって大掃除をする。掃除するうちに家の価値がみんなに伝わって、みんなで使いたいから貸してくれないか、との話になり、みんなが責任を持って使ってくれるならありがたい、と活用が始まることが多いという。実際に日本でどれほどの空き家がこの例のように活用されたか、は載っていないが、「私設公民館」を作る方法として、なるほどね、という感じか。
次の例は千葉県柏市の「限界(戸建て)団地」に住む高齢者からの相談がきっかけで始まったプロジェクト。ここでは著者の提案で対象を団地から小学校区まで広げて、子どもたちと高齢者を結びつける世代交流型のコミュニティを作った。地元のあらゆる団体に声をかけてそれぞれのリーダー格の人に参加してもらって実行委員会を立ち上げ、場所は行政が提供した公共施設の空き車庫を住民総出で改装して、居心地の良いカフェにしつらえた。オープンから既に12年、1日の利用者は平均120名というからかなりの規模と言えるだろう。週の半分を地域のグループによる活動の日、半分を自由に利用できる日としてあり、グループ活動の時間は半年先まで埋まっていて時間の取り合いになるほど活用されている(当方の自治公民館はほとんど空いている)。子どもたちが日常的に立ち寄り、地元の高齢者は登下校時の見守りと声がけをしたり、グループ活動に子どもを招いたり、地域の清掃活動を行ったりと、多世代交流があちこちで進められている。また学校との連携も強く、土曜授業や放課後子ども教室をこの実行委員会が担当し、学校の環境整備にも力を入れて、さらには学校の校外行事に同伴して先生方の負担を減らすなど、学校運営になくてはならない存在になっている、という。ここも大成功したケースのようだ。
うまくいくコツはともかく「楽しく」で、やらされ感は大敵。人が顔を突き合わせて認め合えるような小さな関係づくりから始め、皆が自分ごととして関わり、異質を排除せず、ネットワークを広げるというより、ドットを増やす。無理して新人を獲得したり、後継者を育成したりすることはしない。目的のために何をすべきか、ではなく、何が楽しいかは人それぞれなので、集まった人たちで楽しいことを始めることがキモのようだ。実際、ゼロからそれなりの活動が起きてくるまでの火の付け方が難しいだろうと思うので、楽しく始めるノウハウをもっと知りたいところだ。
中高生くらいの世代が「自治をやる」という言葉を使うとか。地下アイドル・Aちゃんの追っかけは自治ができてるけど、Bちゃんのは自治ができてない。自治ができている追っかけは皆で協調し、周囲にも配慮して後片付けや掃除も手伝うなど、追っかけの皆が仲間として楽しむのに対し、自治ができていない追っかけはバラバラで皆で楽しむ感じがない。実際にそんな例があるのかとも思うが、イメージはわかる。日本代表サッカーのサポートたちが、試合のあとの観客席を綺麗にして帰るという話を思い出した。
3つ目の例は那覇市若狭公民館が実践してきた「パーラー公民館」で、大ぶりのビーチパラソルとそれを支えるテーブルを公園などに置くだけでできる移動式の公民館。中心メンバーにはアーティストが多く、かなり独特で、いろんなバリエーションがあって、私には一番遠い感じがしたので詳細は省略。
最後の章では、大企業の役員経験者を中心に組織された一般社団法人「ディレクトフォース」を紹介し、その素晴らしさとともに弱点を指摘しているが、縁遠い話なのでこれも省略。
最初の2つの例は自治会/町内会や公設の公民館、社協などとは別の組織を立ち上げて作った点が興味深い。2つ目は公共施設だった場所を利用しているので、最初から少し公的な要素もあるが、「岡さんのいえ」は極めて個人的なところから立ち上げて、公的サポートは後からついてきた。都会だからできるのだろうか。
本書の3つの例はどれも非常にうまくいったケースと思うが、うまくいかなかった例についても知りたかった。「幸福な家庭はどれも似ているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」のアンナ・カレーニナ原理のように、おそらく失敗(あるいは大成功とは言いにくい)例にはいろんな原因があり、それを知ることも実地のコミュニティづくりに参考になるように思うのだが。
「ちいさな社会」とは、著者が「人々が楽しく幸せに暮らすために」必要と考えるコミュニティであり、本書では著者の大学ゼミがその立ち上げに関わった3つの例を取り上げている。残念ながら自分のコミュニティに直ぐに応用できそうなヒントは得られなかったが、その考え方は理解できて納得もしたので、いずれ参考にすることがあるかも知れない。
1つ目の例は17年前から続いている東京・世田谷区の空き家を使った「岡さんのいえTOMO」と呼ばれる取り組みで、「地域の人たちのために使って」との遺言とともに家を引き継いだオーナーの協力依頼から始まった。当初はゼミの学生たちが中心となって「留学生との餃子パーティや子どもたち向けの寺子屋、駄菓子屋と昔遊びなどのイベントなど、いろいろ取り交ぜて、思いつくままになんでもかんでもやってみた」という。よからぬことをやっているという噂も出たそうだが、子どもたちが「おもしろそう」と次々と集まってきて、そのうち学校の先生、保護者、地域の高齢者を巻き込んでいった。目指しているのは「多世代で交流する『まちのお茶の間』づくり」で、現在では世田谷区の外郭団体「世田谷トラストまちづくり」が支援する「地域共生のいえ」の一つとなり、参加者の思いつくままにいろんなイベントその他が行われている。マスコミに取り上げられて全国の自治体から視察が来るようになり、さらにはNHKワールドジャパンが世界に発信すると「高齢社会日本の新しいまちづくりの取り組み」としてアジア各地からも訪問者が来たという。しっかりしたホームページもあって、来年の夏までのスケジュールが載っていた。確かに凄そう。
空き家は全国に増え続けているが、実際に空いている家は少なく、貸してくれる大家さんも多くない、という。そもそも空き家は個人の所有物であり、さらに普通の家のように仏壇や家具、生活用品などが置いてあって、そこから人がいなくなっただけだからだ。その状況を突破するのに、先ずはまちのみんなで、掃除しますよ、と持ちかけて大家さんと一緒になって大掃除をする。掃除するうちに家の価値がみんなに伝わって、みんなで使いたいから貸してくれないか、との話になり、みんなが責任を持って使ってくれるならありがたい、と活用が始まることが多いという。実際に日本でどれほどの空き家がこの例のように活用されたか、は載っていないが、「私設公民館」を作る方法として、なるほどね、という感じか。
次の例は千葉県柏市の「限界(戸建て)団地」に住む高齢者からの相談がきっかけで始まったプロジェクト。ここでは著者の提案で対象を団地から小学校区まで広げて、子どもたちと高齢者を結びつける世代交流型のコミュニティを作った。地元のあらゆる団体に声をかけてそれぞれのリーダー格の人に参加してもらって実行委員会を立ち上げ、場所は行政が提供した公共施設の空き車庫を住民総出で改装して、居心地の良いカフェにしつらえた。オープンから既に12年、1日の利用者は平均120名というからかなりの規模と言えるだろう。週の半分を地域のグループによる活動の日、半分を自由に利用できる日としてあり、グループ活動の時間は半年先まで埋まっていて時間の取り合いになるほど活用されている(当方の自治公民館はほとんど空いている)。子どもたちが日常的に立ち寄り、地元の高齢者は登下校時の見守りと声がけをしたり、グループ活動に子どもを招いたり、地域の清掃活動を行ったりと、多世代交流があちこちで進められている。また学校との連携も強く、土曜授業や放課後子ども教室をこの実行委員会が担当し、学校の環境整備にも力を入れて、さらには学校の校外行事に同伴して先生方の負担を減らすなど、学校運営になくてはならない存在になっている、という。ここも大成功したケースのようだ。
うまくいくコツはともかく「楽しく」で、やらされ感は大敵。人が顔を突き合わせて認め合えるような小さな関係づくりから始め、皆が自分ごととして関わり、異質を排除せず、ネットワークを広げるというより、ドットを増やす。無理して新人を獲得したり、後継者を育成したりすることはしない。目的のために何をすべきか、ではなく、何が楽しいかは人それぞれなので、集まった人たちで楽しいことを始めることがキモのようだ。実際、ゼロからそれなりの活動が起きてくるまでの火の付け方が難しいだろうと思うので、楽しく始めるノウハウをもっと知りたいところだ。
中高生くらいの世代が「自治をやる」という言葉を使うとか。地下アイドル・Aちゃんの追っかけは自治ができてるけど、Bちゃんのは自治ができてない。自治ができている追っかけは皆で協調し、周囲にも配慮して後片付けや掃除も手伝うなど、追っかけの皆が仲間として楽しむのに対し、自治ができていない追っかけはバラバラで皆で楽しむ感じがない。実際にそんな例があるのかとも思うが、イメージはわかる。日本代表サッカーのサポートたちが、試合のあとの観客席を綺麗にして帰るという話を思い出した。
3つ目の例は那覇市若狭公民館が実践してきた「パーラー公民館」で、大ぶりのビーチパラソルとそれを支えるテーブルを公園などに置くだけでできる移動式の公民館。中心メンバーにはアーティストが多く、かなり独特で、いろんなバリエーションがあって、私には一番遠い感じがしたので詳細は省略。
最後の章では、大企業の役員経験者を中心に組織された一般社団法人「ディレクトフォース」を紹介し、その素晴らしさとともに弱点を指摘しているが、縁遠い話なのでこれも省略。
最初の2つの例は自治会/町内会や公設の公民館、社協などとは別の組織を立ち上げて作った点が興味深い。2つ目は公共施設だった場所を利用しているので、最初から少し公的な要素もあるが、「岡さんのいえ」は極めて個人的なところから立ち上げて、公的サポートは後からついてきた。都会だからできるのだろうか。
本書の3つの例はどれも非常にうまくいったケースと思うが、うまくいかなかった例についても知りたかった。「幸福な家庭はどれも似ているが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」のアンナ・カレーニナ原理のように、おそらく失敗(あるいは大成功とは言いにくい)例にはいろんな原因があり、それを知ることも実地のコミュニティづくりに参考になるように思うのだが。
残された時間 脳外科医マーシュ、がんと生きる ― 2025年04月07日
And Finally - Matters of Life and Death
by Henry Marsh
ヘンリー・マーシュ (小田嶋由美子・訳、仲野徹・監修)<みすず書房・2024.4.1>
既に引退した、イギリスの著名な脳外科医が進行性前立腺がんを宣告され、これまでの医者としての自分の態度を振り返るとともに、医療を良く知るがん患者として「残された時間」を考えた本。友人が経営するネパールの病院や、ソ連時代からのウクライナで医療に従事したこと、その他プライベート生活の記述が多々あったが、あまり興味がなかったのでここでは全て省略。時期的にはコロナ禍のロックダウンに始まり、あとがきにウクライナ侵攻が出てくる。Wikipediaで補足すれば著者の前立腺がんは化学的去勢と放射線治療によって寛解し、ロシア侵攻後のウクライナにも度々訪れて地元医師の指導をしているという。本書に対する不満はないが、既に数冊あるという、監修の仲野が絶賛する著作を読んでみたいとまでは思わなかった。
自分の脳のMRI画像を見て、その老化ぶりに衝撃を受けるところから本書は始まる。他人には見ないように勧めるのに、無意識のうちに自分は医者だから患者にはならない、と考えて、見てしまったことの告白で、がんになったことについても同じ感想を抱いたそうだ。自分ががんを宣告されたあと、昔の患者の記憶が蘇るようになったという。
医者としての自分を振り返った記述で印象深かったこと。
「外科医は、その成功によってではなく、失敗によって、すなわち合併症の発症率によって評価されなければならない」「一般的に言えば、優秀な外科医ほど難しい奨励の担当数が多くなり、結果的に合併症の発症率が高くなる」ため「こうした評価を行うことは意外なほど難しい」。
ふーん、なるほどね、という程度の印象だったのは、私はがんではなく、血管系の病気で死ぬと信じ込んでいるためか、あるいはこれまで友人、知人として接してきた医者のほとんどが内科系であったためか、どうも命に関わる病気で外科医にかかることが自分ごととして考えられないからかも知れない。
外科医は、キャリアの最初の頃には患者の前で実際よりずっと経験豊富で有能であるかのように振る舞わねばならない、という。そうしないと切られる患者が不安になるから、というのは納得できた。アメリカの進化論学者トリヴァースが提唱する「人間が有する自己欺瞞の能力」、すなわち「不正直な行いをするときに自分自身を欺けば、無意識の「気配」やそぶりを通じて自分の不正直さを露呈する可能性が低くなる」という説を引用して、外科医も同様であり、自己欺瞞は重要な臨床技術、という。著者は非常に誠実な医者のようだが、いつもその自覚をもって患者に接することができる、非常に自制的な医者はそれほど多くないだろう。
がん患者としての記述では、自分にそのような経験がないため、死に向き合う気持ちをリアリティを持って理解できた気がしなかった。がん患者が書いた本という意味では、遠い昔に読んだ江國滋の「おい癌め・・」の方が遥かに印象的だった。自分が死を間近にして身体が弱ってきたときでもできる趣味として確かに俳句はいいかも、と思ったことを覚えている。江國はそのまま死んで、マーシュは寛解したからかも知れない。実際に自分に死が迫ってきたと感じるときに本書を読んだら、また違う印象になるのだろうか。
本書で最も印象が強かったのは自死幇助に関する記述だ。著者はイギリスで自死幇助が合法化されていないことに強い不満を持っている。自死は違法ではないのに(自死に失敗しても罪に問われないということか)、それを助けることが法に反することに著者は納得がいっていない。「多くの国で自死幇助が合法化されているということは、実際にそれが機能することのエビデンスである」とまで言っているが、この論理に私は説得されなかった。逆に、反対派が主張するような、自死幇助を合法化すると障害者や高齢者など弱い立場にいる人々の命の価値が減じられる、というエビデンスは一切ないとしているが、どのようなエビデンスをとり得るのだろう。著者の書き方(元の英語ではなく日本語訳)によれば反対派は「多くの医師、親族、医療従事者が、弱い立場にいる人々に自死の手助けを頼むように説得したり、圧力をかけたりしていると主張」するそうだが、「本当?」と思ってしまう。少なくとも日本で起こり得ると想像できるのは「無言の圧力」だろう。日本人である私は、著者のこの書き方は自論を有利にするための「強弁」と思った。
もう一点、日本との違いと思われたのは、著者は「中絶と自死幇助に対して並外れた熱意を持って反対する人々の多くが信仰を持っている」とする点で、日本で自死幇助(いわゆる安楽死)合法化に反対する人の多くが宗教心が強いとは私には思えない。欧米では本当にそうなのだろうか。
自死幇助に関する議論は本書の最後近くにあり、上述のように私は全く納得できなかったことが、本書全体の印象を悪くしたのかも知れない。
by Henry Marsh
ヘンリー・マーシュ (小田嶋由美子・訳、仲野徹・監修)<みすず書房・2024.4.1>
既に引退した、イギリスの著名な脳外科医が進行性前立腺がんを宣告され、これまでの医者としての自分の態度を振り返るとともに、医療を良く知るがん患者として「残された時間」を考えた本。友人が経営するネパールの病院や、ソ連時代からのウクライナで医療に従事したこと、その他プライベート生活の記述が多々あったが、あまり興味がなかったのでここでは全て省略。時期的にはコロナ禍のロックダウンに始まり、あとがきにウクライナ侵攻が出てくる。Wikipediaで補足すれば著者の前立腺がんは化学的去勢と放射線治療によって寛解し、ロシア侵攻後のウクライナにも度々訪れて地元医師の指導をしているという。本書に対する不満はないが、既に数冊あるという、監修の仲野が絶賛する著作を読んでみたいとまでは思わなかった。
自分の脳のMRI画像を見て、その老化ぶりに衝撃を受けるところから本書は始まる。他人には見ないように勧めるのに、無意識のうちに自分は医者だから患者にはならない、と考えて、見てしまったことの告白で、がんになったことについても同じ感想を抱いたそうだ。自分ががんを宣告されたあと、昔の患者の記憶が蘇るようになったという。
医者としての自分を振り返った記述で印象深かったこと。
「外科医は、その成功によってではなく、失敗によって、すなわち合併症の発症率によって評価されなければならない」「一般的に言えば、優秀な外科医ほど難しい奨励の担当数が多くなり、結果的に合併症の発症率が高くなる」ため「こうした評価を行うことは意外なほど難しい」。
ふーん、なるほどね、という程度の印象だったのは、私はがんではなく、血管系の病気で死ぬと信じ込んでいるためか、あるいはこれまで友人、知人として接してきた医者のほとんどが内科系であったためか、どうも命に関わる病気で外科医にかかることが自分ごととして考えられないからかも知れない。
外科医は、キャリアの最初の頃には患者の前で実際よりずっと経験豊富で有能であるかのように振る舞わねばならない、という。そうしないと切られる患者が不安になるから、というのは納得できた。アメリカの進化論学者トリヴァースが提唱する「人間が有する自己欺瞞の能力」、すなわち「不正直な行いをするときに自分自身を欺けば、無意識の「気配」やそぶりを通じて自分の不正直さを露呈する可能性が低くなる」という説を引用して、外科医も同様であり、自己欺瞞は重要な臨床技術、という。著者は非常に誠実な医者のようだが、いつもその自覚をもって患者に接することができる、非常に自制的な医者はそれほど多くないだろう。
がん患者としての記述では、自分にそのような経験がないため、死に向き合う気持ちをリアリティを持って理解できた気がしなかった。がん患者が書いた本という意味では、遠い昔に読んだ江國滋の「おい癌め・・」の方が遥かに印象的だった。自分が死を間近にして身体が弱ってきたときでもできる趣味として確かに俳句はいいかも、と思ったことを覚えている。江國はそのまま死んで、マーシュは寛解したからかも知れない。実際に自分に死が迫ってきたと感じるときに本書を読んだら、また違う印象になるのだろうか。
本書で最も印象が強かったのは自死幇助に関する記述だ。著者はイギリスで自死幇助が合法化されていないことに強い不満を持っている。自死は違法ではないのに(自死に失敗しても罪に問われないということか)、それを助けることが法に反することに著者は納得がいっていない。「多くの国で自死幇助が合法化されているということは、実際にそれが機能することのエビデンスである」とまで言っているが、この論理に私は説得されなかった。逆に、反対派が主張するような、自死幇助を合法化すると障害者や高齢者など弱い立場にいる人々の命の価値が減じられる、というエビデンスは一切ないとしているが、どのようなエビデンスをとり得るのだろう。著者の書き方(元の英語ではなく日本語訳)によれば反対派は「多くの医師、親族、医療従事者が、弱い立場にいる人々に自死の手助けを頼むように説得したり、圧力をかけたりしていると主張」するそうだが、「本当?」と思ってしまう。少なくとも日本で起こり得ると想像できるのは「無言の圧力」だろう。日本人である私は、著者のこの書き方は自論を有利にするための「強弁」と思った。
もう一点、日本との違いと思われたのは、著者は「中絶と自死幇助に対して並外れた熱意を持って反対する人々の多くが信仰を持っている」とする点で、日本で自死幇助(いわゆる安楽死)合法化に反対する人の多くが宗教心が強いとは私には思えない。欧米では本当にそうなのだろうか。
自死幇助に関する議論は本書の最後近くにあり、上述のように私は全く納得できなかったことが、本書全体の印象を悪くしたのかも知れない。
くらしのアナキズム ― 2024年03月23日
松村圭一郎 <ミシマ社・2021.9.28>
これも人類学者が書いた本。最初に読んだのは2年ほど前だが、最近、地域活動にさらに深く関わることになり、自分の活動を考えるのに関連することが書いてあったと思い、再読してメモを残すことにした。従って本書全体のメモではなく、今の自分が記録したいことだけ。著者は大学院時代にデヴィッド・グレーバーの本を読んで啓発され、アナキズムに関心を持つようになったらしい。本書では、私も以前に読んだスコットの「反穀物の人類史」、きだみのるの「にっぽん部落」、レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」に加えて、モース、クラストル、ブローデル、鶴見俊輔、宮本常一などの記述を紹介しつつ、自身がエチオピアの村で観察した様子も考え合わせて、身近なところから考えるアナキズムについて書いている。
人類学者が調査・研究してきた国家なき社会にも政治的なリーダーはいた。レヴィ=ストロースはブラジル・アマゾンの先住民のバンドの首長には明確に定められた権限や公に認められた権威はなく、人々の同意だけによって支えられている、とする。そのような首長は強権を奮って周囲を従わせることはできず、ひたすら多数の同意を維持する努力をするしかない。リーダーは自分の利益のために動くものではなく、共同体のために働き、それをする限りにおいて、ある種の権威や特権を一時的に集団から託されているに過ぎない。「人びとは、リーダーが集団の目標に貢献しているのか、つねに関心を寄せ、そこから道をはずれると、さっと同意を翻す。国家が人びとを監視する監視社会とは逆に、リーダーがつねに人びとから監視されているのだ」。
首長は社会のなかで生じるさまざまな問題を解決するための役割を担う。威信と言葉以外につかえる強制力をともなう手段は持たない。首長は決断をして意思決定をするのではなく、巧みに言葉を使って人々を説得し、集団の同意を形成する。この同意を得るための手法は、徹底した会話につきる。民俗学者・宮本常一の記述でも日本の部落における「寄りあい」について、肯定的な意見も否定的な意見も出るなかで、決して無理をせず、気が熟すのを待って、皆の気持ちが落ち着くまで話し合った後に、長老が落としどころを提案する。グレーバーが言うように、日本でも多数決で答えを出すことは、敵対関係を作ることになるため、徹底して避ける。小さい集団を作る人類はこのようにして生き残ってきたのであろう。
ダム建設や原発の誘致、基地建設などで日本各地が賛成派と反対派との分断に地域社会が文字通り破壊されることが度々起きている。これに関して、猪瀬浩平は「むらと原発」の中で高知県窪川町(現四万十町)で原発誘致をめぐって起きた対立について記している。賛成と反対の勢力は拮抗し、町長の選挙やリコールが繰り返され、全国的にも画期的な原発設置についての住民投票条例も可決されたが、結局、投票は実施されなかった。一方、原発とは全く別の案件として農業機械化のための土地整備事業が行われ、ここでは長い時間をかけて合意形成が図られた。結局はチェルノブイリ原発事故が起き、また他の原発設置が進んだことにより、窪川町の原発は見送られたが、町を二分する対立とは別の案件で両陣営の人の間の会話は続けられており、「骨肉を争った町民同士の『けんか』をここらでやめんと、窪川の町がだめになる」との判断が生まれ、事態は収拾された。
以下は他に印象に残ったことがら。
スコットは「文字が国家をつくる」と主張する。メソポタミアで最初期の国家が誕生したのは紀元前3300年頃だと考えられ、この時期は歴史上はじめて文字が登場した時と一致する。国家を維持するには非生産者(官吏、職人、兵士、聖職者、貴族階級)を食べさせるための余剰食料が必要であり、それを確保するには継続的な穀物の記録・管理が必須だった。最初期のメソポタミアでは、ほぼ簿記の目的のためだけに文字が使われており、文学や神話などが文字で記されたのは、それから500年以上たってからのことだった、という。一方、国家が誕生したあとも、あえて国家や文明から逃れた膨大な数の人々が生きてきたが、そのような人々に関する記録は全く残されていない。
グレーバーの印象的な言葉も引用しているのでここに残しておく。イラクでサダム・フセイン政権が倒れたあとに暴動や略奪が起きたのは「人びとを、子供として処するなら、彼らは子供のように振舞う」から。
これも人類学者が書いた本。最初に読んだのは2年ほど前だが、最近、地域活動にさらに深く関わることになり、自分の活動を考えるのに関連することが書いてあったと思い、再読してメモを残すことにした。従って本書全体のメモではなく、今の自分が記録したいことだけ。著者は大学院時代にデヴィッド・グレーバーの本を読んで啓発され、アナキズムに関心を持つようになったらしい。本書では、私も以前に読んだスコットの「反穀物の人類史」、きだみのるの「にっぽん部落」、レヴィ=ストロースの「悲しき熱帯」に加えて、モース、クラストル、ブローデル、鶴見俊輔、宮本常一などの記述を紹介しつつ、自身がエチオピアの村で観察した様子も考え合わせて、身近なところから考えるアナキズムについて書いている。
人類学者が調査・研究してきた国家なき社会にも政治的なリーダーはいた。レヴィ=ストロースはブラジル・アマゾンの先住民のバンドの首長には明確に定められた権限や公に認められた権威はなく、人々の同意だけによって支えられている、とする。そのような首長は強権を奮って周囲を従わせることはできず、ひたすら多数の同意を維持する努力をするしかない。リーダーは自分の利益のために動くものではなく、共同体のために働き、それをする限りにおいて、ある種の権威や特権を一時的に集団から託されているに過ぎない。「人びとは、リーダーが集団の目標に貢献しているのか、つねに関心を寄せ、そこから道をはずれると、さっと同意を翻す。国家が人びとを監視する監視社会とは逆に、リーダーがつねに人びとから監視されているのだ」。
首長は社会のなかで生じるさまざまな問題を解決するための役割を担う。威信と言葉以外につかえる強制力をともなう手段は持たない。首長は決断をして意思決定をするのではなく、巧みに言葉を使って人々を説得し、集団の同意を形成する。この同意を得るための手法は、徹底した会話につきる。民俗学者・宮本常一の記述でも日本の部落における「寄りあい」について、肯定的な意見も否定的な意見も出るなかで、決して無理をせず、気が熟すのを待って、皆の気持ちが落ち着くまで話し合った後に、長老が落としどころを提案する。グレーバーが言うように、日本でも多数決で答えを出すことは、敵対関係を作ることになるため、徹底して避ける。小さい集団を作る人類はこのようにして生き残ってきたのであろう。
ダム建設や原発の誘致、基地建設などで日本各地が賛成派と反対派との分断に地域社会が文字通り破壊されることが度々起きている。これに関して、猪瀬浩平は「むらと原発」の中で高知県窪川町(現四万十町)で原発誘致をめぐって起きた対立について記している。賛成と反対の勢力は拮抗し、町長の選挙やリコールが繰り返され、全国的にも画期的な原発設置についての住民投票条例も可決されたが、結局、投票は実施されなかった。一方、原発とは全く別の案件として農業機械化のための土地整備事業が行われ、ここでは長い時間をかけて合意形成が図られた。結局はチェルノブイリ原発事故が起き、また他の原発設置が進んだことにより、窪川町の原発は見送られたが、町を二分する対立とは別の案件で両陣営の人の間の会話は続けられており、「骨肉を争った町民同士の『けんか』をここらでやめんと、窪川の町がだめになる」との判断が生まれ、事態は収拾された。
以下は他に印象に残ったことがら。
スコットは「文字が国家をつくる」と主張する。メソポタミアで最初期の国家が誕生したのは紀元前3300年頃だと考えられ、この時期は歴史上はじめて文字が登場した時と一致する。国家を維持するには非生産者(官吏、職人、兵士、聖職者、貴族階級)を食べさせるための余剰食料が必要であり、それを確保するには継続的な穀物の記録・管理が必須だった。最初期のメソポタミアでは、ほぼ簿記の目的のためだけに文字が使われており、文学や神話などが文字で記されたのは、それから500年以上たってからのことだった、という。一方、国家が誕生したあとも、あえて国家や文明から逃れた膨大な数の人々が生きてきたが、そのような人々に関する記録は全く残されていない。
グレーバーの印象的な言葉も引用しているのでここに残しておく。イラクでサダム・フセイン政権が倒れたあとに暴動や略奪が起きたのは「人びとを、子供として処するなら、彼らは子供のように振舞う」から。
安楽死が合法の国で起こっていること ― 2024年03月09日
児玉真美 <ちくま新書・2023.11.10>
たまたま本屋で見かけ、タイトルに興味を持って読んでみた。安楽死を合法化した欧米の国はどこも、当初の極く限定された対象者が次第に増える方向に法律が変わり、さらに安楽死に対する医療関係者や一般の人々の意識も大きく変わってきているという。本書の内容がほぼ現状と考えると、日本でどんな厳しい条件をつけるにしても一旦、安楽死を合法化したら同様なことが起こるだろう、と容易に想像され、私にはかなり衝撃的な内容だった。
著者は重度障害者の母であり、元は英語教員であったが今は日本ケアラー連盟代表理事で著述家、さらに語学力を生かして、安楽死に関する世界の状況をフォローしてブログで発信している。本書は現在までの「世界の安楽死の周辺ではさらに何が起こってきたか、そこにどんな危うさが見え隠れしているのか」をまとめたもの。以前に読んで読書メモを書いた「<反延命>主義の時代」と基本的なスタンスは同じで、最近の日本の安楽死容認の流れを危惧して書かれているが、今回は著者への反発の気持ちが全く起きなかっただけでなく、自分の考え方に修正を迫られた。
先ず基本的な事項として安楽死に類する言葉の整理から。国際的に定まった定義はなく、専門家の間でも微妙に異なるようだが、本書では「尊厳死」「安楽死」「医師幇助自殺」を区別して説明している。「尊厳死」は医学的にはまだ生き延びることができるが、治療や処置、栄養補給などを控えて死を迎えることで、これはがん末期や老衰などの患者を対象に日本でも一般に行われている。これに対して「安楽死」は、医師が薬物を投与して患者を死なせることをいう。前者を消極的安楽死、後者を積極的安楽死ともいう。「医師幇助自殺」は死に至る最後のスイッチを患者自身が入れるもので、現在では薬物点滴装置のストッパーを患者が外して自殺することを指す。「安楽死」が合法化されていると言われるスイスで認められているのは「医師幇助自殺」であり、「(積極的)安楽死」は違法だそうだ。「安楽死」と「医師幇助自殺」の違いは私には本質的な話ではないと感じられるが、法的には重要なのだろう。但し、米国では医師幇助自殺を「尊厳死(dying/death with dignity)」と呼び、さらに人によっては「(積極的)安楽死」をも「尊厳死」と表現することがあるというから、確かにややこしい。
2023年5月下旬の時点で合法化されている国
・積極的安楽死も合法化 ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ、スペイン、ポルトガル、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、コロンビア
・医師幇助自殺のみ合法化:スイス、オーストリア、米国10州とDC
この他に、イタリア、ペルーなどで個別の訴訟に対して自殺幇助を認めた判例が相次いでいる。
1995年に米国オレゴン州、ついで2001年オランダ、2002年ベルギーで安楽死を合法化したときは「もはや救命がかなわない患者にどうしても緩和不能な耐えがたい苦痛がある場合の最後の例外的な救済措置」として考えられ、「合法化」というよりも、際どい行為をする医師を免責し「非犯罪化」したという表現の方が正しい、という。それが終末期でなくとも「肉体的に耐えがたい苦痛」の患者へと広がり、さらに精神的な苦痛も対象となるようになった。ここまでの変遷は、漠然とではあるが自分でも認識していたと思うが、難病患者、重度障害者、認知症患者、精神/発達/知的障害者、病気の子どもなどに広がっている、と言われると確かに気になってくる。それどころか、スイスへの自殺ツーリズム(同国の医師幇助自殺は外国人も受け入れる)では、「命にかかわる病気があるわけではないけど人生はもう完結したと考える人や、将来的に家族の負担になることを案じる高齢者の医師幇助自殺が『理性的自殺』『先制的自殺』などと称され、近年とみに増加している」という。さらに著者が、後発ながら現在では最もラディカルと考えるカナダ(後述)では「苦しみを軽減する手段が経済的に容認できない」、すなわちお金がないから安楽死を選ぶとも言える例まで容認されているそうだ。
このような範囲の拡大だけでなく、対象者を認定する際の要件も緩和される方向で進んでおり、立会人が複数必要だったのを一人にするとか、意思確認に慎重を期すために設けられた患者の考慮時間も大幅に短縮するなどが行われているという。「合法化した後でどこかが要件を緩和すれば、後から合法化する国のハードルは下がる。そうしてどこかが後に続くことで、安楽死のいわば『国際的スタンダード』はじわじわと下がっていく」。「すべり坂 (slippery slope)」とは、生命倫理学で使われる喩えで、ある方向に足を踏み出すと、そこはすべりやすい坂道になっていて、一歩足をすべらせたらどこまでも転がり落ちていくイメージだそうだが、安楽死の状況はまさに「すべり坂」と表現されている。
著者がこの変化の大きな転換点とするのが、2016年にカナダが合法化した際に積極的安楽死と医師幇助自殺を合わせてMAID (Medical Assistance in Dying、死にゆく際の医療的介助)と称したことで、これによって安楽死が緩和ケアと同類に位置づけられた、と考えられ、医療関係者の感じるハードルが低くなった。充分な緩和ケアが行われないために激しい苦痛を感じて安楽死を選ぶ(選ばざるを得ない)患者もいるだろう。
ベルギーの医療現場では安楽死がルーティン化、瑣末化(trivialization)し、法律で禁じられている医療サイドから患者への安楽死の提案がなされたり、義務付けられている安楽死の報告は実際の半分程度、などが医療職らの本や論文に紹介されている、という。さらに絶対的な要件であるはずの「自己決定」の原則が、認知症や発達/知的障害、さらに理解力が低い子どもへの拡大により、曖昧になりつつある。これらの国々では、安楽死が全死亡の数%になっているという。
安楽死を社会保障費削減策の一つと考えたり、臓器移植の提供手段として利用するなども実際に行われているとのことで、社会からの圧力も大きい。ここにさらに「<反延命>主義の時代」でも取り上げられた「無益な治療」論が加わり、コロナ禍での対応を含めてかなりのページが割かれているがここでは省略。著者は重度障害者の母でもあるから、その実体験からの発言は深い。
著者は「安楽死を個人の『権利』と認めて合法化し、なお高齢者や障害者や病者や貧困層など社会的弱者の命が不当に切り捨てられたり脅かされたりすることのない社会は、はたして実現可能なのかーー。海外の動向を追いかけながら、そのことをずっと考えてきた。今のところ私には、安楽死合法化の『先進国』にそのチャレンジに成功している例があるとは思えない。まして、権威主義的で、組織や集団からの同調圧力が大きな日本の文化風土の中では、その試みはより危険なものとなるだろう。私は日本で安楽死が合法化されることには、欧米以上にリスクが大きいと考えている。」と言う。苦しんでいる人がいるのだから議論だけでも始めよう、というのは「あまりにナイーブではないだろうか」と言われれば、同意せざるを得ないし、本書における著者の考察は非常に説得力がある。
最終的な著者の主張はこうだ。「議論を原点の終末期の人に戻すべきで・・・・『終末期の人には安楽死を認めるべきか』ではなく、問題を『終末期の人の痛み苦しみに対して何ができるか』へと設定しなおすべきだ」「常に医療のそばに身を置く重い障害のある人と家族の立場から言えば『死ぬ権利』を云々する前に、『もうどうしても死を避けられなくなった時に、十分な緩和ケアと社会的ケアを受けながら、最後まで固有の人生を生きる主体として尊重されて、苦しまずに生きる権利』を主張したい」。最近のデータでは、今なお癌患者の4割が痛み苦しみながら死んでおり、少なくとも家族は、医師が十分に対応してくれなかったと感じている、という。「患者は痛みに耐えているのではなく、痛みを訴えても聞く耳を持ってくれない医師に耐えているのです」という緩和ケア医の言葉を引用している。
たまたま本屋で見かけ、タイトルに興味を持って読んでみた。安楽死を合法化した欧米の国はどこも、当初の極く限定された対象者が次第に増える方向に法律が変わり、さらに安楽死に対する医療関係者や一般の人々の意識も大きく変わってきているという。本書の内容がほぼ現状と考えると、日本でどんな厳しい条件をつけるにしても一旦、安楽死を合法化したら同様なことが起こるだろう、と容易に想像され、私にはかなり衝撃的な内容だった。
著者は重度障害者の母であり、元は英語教員であったが今は日本ケアラー連盟代表理事で著述家、さらに語学力を生かして、安楽死に関する世界の状況をフォローしてブログで発信している。本書は現在までの「世界の安楽死の周辺ではさらに何が起こってきたか、そこにどんな危うさが見え隠れしているのか」をまとめたもの。以前に読んで読書メモを書いた「<反延命>主義の時代」と基本的なスタンスは同じで、最近の日本の安楽死容認の流れを危惧して書かれているが、今回は著者への反発の気持ちが全く起きなかっただけでなく、自分の考え方に修正を迫られた。
先ず基本的な事項として安楽死に類する言葉の整理から。国際的に定まった定義はなく、専門家の間でも微妙に異なるようだが、本書では「尊厳死」「安楽死」「医師幇助自殺」を区別して説明している。「尊厳死」は医学的にはまだ生き延びることができるが、治療や処置、栄養補給などを控えて死を迎えることで、これはがん末期や老衰などの患者を対象に日本でも一般に行われている。これに対して「安楽死」は、医師が薬物を投与して患者を死なせることをいう。前者を消極的安楽死、後者を積極的安楽死ともいう。「医師幇助自殺」は死に至る最後のスイッチを患者自身が入れるもので、現在では薬物点滴装置のストッパーを患者が外して自殺することを指す。「安楽死」が合法化されていると言われるスイスで認められているのは「医師幇助自殺」であり、「(積極的)安楽死」は違法だそうだ。「安楽死」と「医師幇助自殺」の違いは私には本質的な話ではないと感じられるが、法的には重要なのだろう。但し、米国では医師幇助自殺を「尊厳死(dying/death with dignity)」と呼び、さらに人によっては「(積極的)安楽死」をも「尊厳死」と表現することがあるというから、確かにややこしい。
2023年5月下旬の時点で合法化されている国
・積極的安楽死も合法化 ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ、スペイン、ポルトガル、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、コロンビア
・医師幇助自殺のみ合法化:スイス、オーストリア、米国10州とDC
この他に、イタリア、ペルーなどで個別の訴訟に対して自殺幇助を認めた判例が相次いでいる。
1995年に米国オレゴン州、ついで2001年オランダ、2002年ベルギーで安楽死を合法化したときは「もはや救命がかなわない患者にどうしても緩和不能な耐えがたい苦痛がある場合の最後の例外的な救済措置」として考えられ、「合法化」というよりも、際どい行為をする医師を免責し「非犯罪化」したという表現の方が正しい、という。それが終末期でなくとも「肉体的に耐えがたい苦痛」の患者へと広がり、さらに精神的な苦痛も対象となるようになった。ここまでの変遷は、漠然とではあるが自分でも認識していたと思うが、難病患者、重度障害者、認知症患者、精神/発達/知的障害者、病気の子どもなどに広がっている、と言われると確かに気になってくる。それどころか、スイスへの自殺ツーリズム(同国の医師幇助自殺は外国人も受け入れる)では、「命にかかわる病気があるわけではないけど人生はもう完結したと考える人や、将来的に家族の負担になることを案じる高齢者の医師幇助自殺が『理性的自殺』『先制的自殺』などと称され、近年とみに増加している」という。さらに著者が、後発ながら現在では最もラディカルと考えるカナダ(後述)では「苦しみを軽減する手段が経済的に容認できない」、すなわちお金がないから安楽死を選ぶとも言える例まで容認されているそうだ。
このような範囲の拡大だけでなく、対象者を認定する際の要件も緩和される方向で進んでおり、立会人が複数必要だったのを一人にするとか、意思確認に慎重を期すために設けられた患者の考慮時間も大幅に短縮するなどが行われているという。「合法化した後でどこかが要件を緩和すれば、後から合法化する国のハードルは下がる。そうしてどこかが後に続くことで、安楽死のいわば『国際的スタンダード』はじわじわと下がっていく」。「すべり坂 (slippery slope)」とは、生命倫理学で使われる喩えで、ある方向に足を踏み出すと、そこはすべりやすい坂道になっていて、一歩足をすべらせたらどこまでも転がり落ちていくイメージだそうだが、安楽死の状況はまさに「すべり坂」と表現されている。
著者がこの変化の大きな転換点とするのが、2016年にカナダが合法化した際に積極的安楽死と医師幇助自殺を合わせてMAID (Medical Assistance in Dying、死にゆく際の医療的介助)と称したことで、これによって安楽死が緩和ケアと同類に位置づけられた、と考えられ、医療関係者の感じるハードルが低くなった。充分な緩和ケアが行われないために激しい苦痛を感じて安楽死を選ぶ(選ばざるを得ない)患者もいるだろう。
ベルギーの医療現場では安楽死がルーティン化、瑣末化(trivialization)し、法律で禁じられている医療サイドから患者への安楽死の提案がなされたり、義務付けられている安楽死の報告は実際の半分程度、などが医療職らの本や論文に紹介されている、という。さらに絶対的な要件であるはずの「自己決定」の原則が、認知症や発達/知的障害、さらに理解力が低い子どもへの拡大により、曖昧になりつつある。これらの国々では、安楽死が全死亡の数%になっているという。
安楽死を社会保障費削減策の一つと考えたり、臓器移植の提供手段として利用するなども実際に行われているとのことで、社会からの圧力も大きい。ここにさらに「<反延命>主義の時代」でも取り上げられた「無益な治療」論が加わり、コロナ禍での対応を含めてかなりのページが割かれているがここでは省略。著者は重度障害者の母でもあるから、その実体験からの発言は深い。
著者は「安楽死を個人の『権利』と認めて合法化し、なお高齢者や障害者や病者や貧困層など社会的弱者の命が不当に切り捨てられたり脅かされたりすることのない社会は、はたして実現可能なのかーー。海外の動向を追いかけながら、そのことをずっと考えてきた。今のところ私には、安楽死合法化の『先進国』にそのチャレンジに成功している例があるとは思えない。まして、権威主義的で、組織や集団からの同調圧力が大きな日本の文化風土の中では、その試みはより危険なものとなるだろう。私は日本で安楽死が合法化されることには、欧米以上にリスクが大きいと考えている。」と言う。苦しんでいる人がいるのだから議論だけでも始めよう、というのは「あまりにナイーブではないだろうか」と言われれば、同意せざるを得ないし、本書における著者の考察は非常に説得力がある。
最終的な著者の主張はこうだ。「議論を原点の終末期の人に戻すべきで・・・・『終末期の人には安楽死を認めるべきか』ではなく、問題を『終末期の人の痛み苦しみに対して何ができるか』へと設定しなおすべきだ」「常に医療のそばに身を置く重い障害のある人と家族の立場から言えば『死ぬ権利』を云々する前に、『もうどうしても死を避けられなくなった時に、十分な緩和ケアと社会的ケアを受けながら、最後まで固有の人生を生きる主体として尊重されて、苦しまずに生きる権利』を主張したい」。最近のデータでは、今なお癌患者の4割が痛み苦しみながら死んでおり、少なくとも家族は、医師が十分に対応してくれなかったと感じている、という。「患者は痛みに耐えているのではなく、痛みを訴えても聞く耳を持ってくれない医師に耐えているのです」という緩和ケア医の言葉を引用している。
依存症と人類 われわれはアルコール・薬物と共存できるのか ― 2024年03月02日
カール・エリック・フィッシャー (松本俊彦・監訳、小田嶋由美子・訳)
<みすず書房・2023.4.10>
著者は依存症「先進国」米国の依存症専門医であるとともに、自身がアルコール依存症からの回復者でもある。斎藤環の書評や、以前に好印象を持った監訳者の絶賛でかなり期待して読んだが、私にとっては冗長で、かなりの飛ばし読みになった。ひきこもりは周囲にいるが、依存症患者を個人的に知らず(米国では9%、2200万人以上もの成人がアルコールその他の薬物問題を自認しているそうだが)、AA(Alcoholics Anonymous、アルコール依存症者の世界的な自助グループ)や日本のダルク(Drug Addiction Rehabilitation Center)に関する知識は多少あったものの、あまり身近に感じていないことが原因かも知れない。
タイトルの通り、人類の種々の依存症(addiction)の歴史に関して、記録が残されている数千年前、古代インドのギャンブル依存症に始まり、古代ギリシャの哲学者や釈迦、アウグスティヌスなどの宗教家の思想から、依存症に対する世の中の認識や対応の長い歴史について延々と記載があり、加えて著者自身のアルコール依存症の過去や、専門医としての診療の記述が入り乱れて書かれている。前半は何とか読み続けたが、依存症の歴史に関心が薄いこともあり、途中から著者のアルコール依存症に関する記述のみを拾い読みし、終章の、依存症の理解に大きな変化が起きたという1970年代から現在までの考え方(まだ変化の途中と感じたが)と、結論「回復」を興味深く読んだ。
一番の驚きだったのは、依存症のかなりの人が何の治療も受けずに回復する、ということ。アルコール、薬物、ギャンブルその他の依存症は一旦、深みにはまると自力で回復するのは容易でなく、また回復してもいつ再発するかわからない、と何となく考えていたが(小田嶋隆を読んだ影響もあったか)それは誤りらしい。ベトナム戦争に従軍したアメリカ兵の20%弱がヘロイン依存症であったが、帰国して1年後も引き続き依存していたのは1%だった。帰還後3年間での再発率は12%、回復した兵士の半数は帰国後にときどきヘロインを使用していたが依存症の状態に戻っていなかったという。これらの結果はアメリカ国内でも衝撃的に受け取られ、当初は必ずしも信じられていなかったらしいが、この報告以降、膨大な数の大規模調査が行われ、薬物などの使用の問題を抱える人々の圧倒的多数が、「自然回復」と呼ばれる現象により自力で自発的に回復したことが明らかになった。アルコールの問題を抱える人の約70%は介入なしに回復に向かう。違法薬物の問題をもつ人の多くは、30歳までに薬物の使用をやめている。もっとも有害な問題に限定しても自然回復の割合は大きい。このような多くの知見の蓄積にも関わらず、私のような理解が未だに広まったままなのは、自力回復できず、苦しんでいる当人や家族の話が目立つからかも知れない。但し、割合は少なくても困難を抱える依存症患者がいることは事実であるから、決して軽視して良いということにはならないが。現在はAAなど種々の団体や医療施設による多様な回復プロブラムがあるらしいが、プロブラムの詳細は書かれていない。
依存症と他の精神疾患との合併はかなりの頻度で起きるようで、物質使用障害(依存症と考えて良いのだろう)を抱える人々のおよそ半数は、うつ病や双極性障害などの別個の精神疾患を発症しており、物質使用問題のために治療を希望する人々での併存率はそれより遥かに高い、という。一方、依存症の遺伝率(遺伝子に起因する変化の度合い)は25%から70%と言われているらしい。これらの結果から考えると、がんや生活習慣病と同じく、依存症もいわゆる「体質」と呼ばれる遺伝的な素地があり、そのような人がアルコールや薬物、ギャンブルなどに接すると依存症になりやすいということだろうか。
監訳者の解説にあった引用によれば、人類においてもっとも広範に使用され、最大の害をもたらしている薬物はアルコール、タバコ、カフェイン(ビッグ・スリーと呼ばれる)であり、これらを規制することはまず成功しない(禁酒法時代のアメリカの話を思い出す。それどころか日本は国策として、敢えてギャンブル依存症を増やす方向に進んでいるように思える。)一方、薬物政策上取り沙汰されることが多いものの、現実には一部の人々だけが使用し、その害も世界全体から見ると、ビッグ・スリーとは比較にならないほど限定的な薬物としてアヘン、大麻、コカイン(リトル・スリー)が規制の対象となっている、という。なるほど、と納得した。
<みすず書房・2023.4.10>
著者は依存症「先進国」米国の依存症専門医であるとともに、自身がアルコール依存症からの回復者でもある。斎藤環の書評や、以前に好印象を持った監訳者の絶賛でかなり期待して読んだが、私にとっては冗長で、かなりの飛ばし読みになった。ひきこもりは周囲にいるが、依存症患者を個人的に知らず(米国では9%、2200万人以上もの成人がアルコールその他の薬物問題を自認しているそうだが)、AA(Alcoholics Anonymous、アルコール依存症者の世界的な自助グループ)や日本のダルク(Drug Addiction Rehabilitation Center)に関する知識は多少あったものの、あまり身近に感じていないことが原因かも知れない。
タイトルの通り、人類の種々の依存症(addiction)の歴史に関して、記録が残されている数千年前、古代インドのギャンブル依存症に始まり、古代ギリシャの哲学者や釈迦、アウグスティヌスなどの宗教家の思想から、依存症に対する世の中の認識や対応の長い歴史について延々と記載があり、加えて著者自身のアルコール依存症の過去や、専門医としての診療の記述が入り乱れて書かれている。前半は何とか読み続けたが、依存症の歴史に関心が薄いこともあり、途中から著者のアルコール依存症に関する記述のみを拾い読みし、終章の、依存症の理解に大きな変化が起きたという1970年代から現在までの考え方(まだ変化の途中と感じたが)と、結論「回復」を興味深く読んだ。
一番の驚きだったのは、依存症のかなりの人が何の治療も受けずに回復する、ということ。アルコール、薬物、ギャンブルその他の依存症は一旦、深みにはまると自力で回復するのは容易でなく、また回復してもいつ再発するかわからない、と何となく考えていたが(小田嶋隆を読んだ影響もあったか)それは誤りらしい。ベトナム戦争に従軍したアメリカ兵の20%弱がヘロイン依存症であったが、帰国して1年後も引き続き依存していたのは1%だった。帰還後3年間での再発率は12%、回復した兵士の半数は帰国後にときどきヘロインを使用していたが依存症の状態に戻っていなかったという。これらの結果はアメリカ国内でも衝撃的に受け取られ、当初は必ずしも信じられていなかったらしいが、この報告以降、膨大な数の大規模調査が行われ、薬物などの使用の問題を抱える人々の圧倒的多数が、「自然回復」と呼ばれる現象により自力で自発的に回復したことが明らかになった。アルコールの問題を抱える人の約70%は介入なしに回復に向かう。違法薬物の問題をもつ人の多くは、30歳までに薬物の使用をやめている。もっとも有害な問題に限定しても自然回復の割合は大きい。このような多くの知見の蓄積にも関わらず、私のような理解が未だに広まったままなのは、自力回復できず、苦しんでいる当人や家族の話が目立つからかも知れない。但し、割合は少なくても困難を抱える依存症患者がいることは事実であるから、決して軽視して良いということにはならないが。現在はAAなど種々の団体や医療施設による多様な回復プロブラムがあるらしいが、プロブラムの詳細は書かれていない。
依存症と他の精神疾患との合併はかなりの頻度で起きるようで、物質使用障害(依存症と考えて良いのだろう)を抱える人々のおよそ半数は、うつ病や双極性障害などの別個の精神疾患を発症しており、物質使用問題のために治療を希望する人々での併存率はそれより遥かに高い、という。一方、依存症の遺伝率(遺伝子に起因する変化の度合い)は25%から70%と言われているらしい。これらの結果から考えると、がんや生活習慣病と同じく、依存症もいわゆる「体質」と呼ばれる遺伝的な素地があり、そのような人がアルコールや薬物、ギャンブルなどに接すると依存症になりやすいということだろうか。
監訳者の解説にあった引用によれば、人類においてもっとも広範に使用され、最大の害をもたらしている薬物はアルコール、タバコ、カフェイン(ビッグ・スリーと呼ばれる)であり、これらを規制することはまず成功しない(禁酒法時代のアメリカの話を思い出す。それどころか日本は国策として、敢えてギャンブル依存症を増やす方向に進んでいるように思える。)一方、薬物政策上取り沙汰されることが多いものの、現実には一部の人々だけが使用し、その害も世界全体から見ると、ビッグ・スリーとは比較にならないほど限定的な薬物としてアヘン、大麻、コカイン(リトル・スリー)が規制の対象となっている、という。なるほど、と納得した。
直立二足歩行の人類史 人間を生き残らせた出来の悪い足 ― 2024年02月24日
ジェレミー・デシルヴァ (赤根洋子・訳)<文藝春秋・2022.8.10>
著者は恐らく40歳代の古人類学者。足への専門性が非常に高く、世界各地の研究者と交流があって化石に関する種々の共同研究を行なっているらしい。最初の著書である本書では化石の詳細な解析を元に、進化の過程で起きた足骨格の変化から歩行の仕方を読み解き、原著の副題 ”How Upright Walking Made Us Human” に示されている通り、ヒトをヒトたらしめている種々の性質との関連を考察している。人類の進化の過程で二足歩行が始まったのは樹木から地上に降りて暮らすようになったからではなく、まだ樹上生活をしていたときから既に木の上を直立して歩いていた、という最近の説は以前に読んだ本で知っていたので、目新しいことはあまりないかも、と思って読み始めたが、さすが「足首専門家」らしく非常に詳細な骨格の解析が示されており、知らないことが多々あって、充分に楽しめた。また話の構成も巧みで、アウストラロピテクスの「ルーシー」、ホモ・エレクトスの「ナリオコトメ・ボーイ(トゥルカナ・ボーイ)」など重要な化石は現地に赴いて実物を観察するなど、他の研究者との関わり方にも好感が持てた。
著者は「人類という種を定義づける諸々の変化(脳の巨大化、子育て法の変化など)が二足歩行によって初めて可能になり」「それらの変化のおかげで誕生の地アフリカから地球全体へと広がった」と考えている。本書では、第一部で化石が示す直立二足歩行の起源について考察し、第二部でヒトの進化における二足歩行の重要性、第三部で「効率的な二足歩行のために必要になった解剖学的変化が現代人の生活に与えた影響」、結論の章で四足歩行と比較して二足歩行には不利な点が数多あるにもかかわらず、人類がそれを乗り越えて生き延び、繁栄したことの理路を記している。
ヒトの歩行に関する進化の道筋は、類人猿のナックルウォーク(拳を使った四足歩行)から次第に立ち上がって、前屈みの二足歩行になり、最終的に直立するという図(有名な絵らしい)が印象にあるが、今の有力な説では樹上生活のときに既に直立二足歩行になり、さらにそれはチンパンジーなどの類人猿とヒトが枝分かれした時代(600万年頃と言われる)より遥か以前の1000万年前にまで遡る可能性があるという。もしかしたらヒトが4本足から2本足になったのではなく、チンパンジーが2本足からナックルウォークを始めたかも知れないのだ。但し、樹上での二足歩行の際は足で樹木を掴むために親指が(ヒトの手のように)横に突き出していて、現在のヒトの足親指の向きは地上での歩行が始まってから進化したと考えられている。
哺乳類の中で唯一、人類の系統だけが二足歩行をしているが、四足歩行の動物に比べて走る速度がかなり遅く、ヒトの祖先が地上生活を始めた時代に栄えていた肉食動物から逃れるためには非常に不利と考えられる(恐竜やその生き残りであるダチョウなどの飛ばない鳥類の二足歩行はヒトと比べて遥かに速い)。それにも関わらず、直立二足歩行の人類が現在まで生き延び、発展したのは、不利を補って余りあるメリットがあったからで、本書にも記述されているが、ここでは省略。また良く知られるように、脳の大きさと難産も歩行と骨盤の変化が重要であるなど、第三部も興味深いがそれも省く。
二足歩行であることは足や足跡の化石だけでなく、頭蓋骨からも示唆される。四足歩行をする類人猿では脊椎につながる穴が頭蓋骨の後ろ側にあるのに対し、直立二足歩行をするヒトでは頭蓋骨の下側にあるからだ。さらに骨盤の形からも類推されるなど、必ずしも足の化石が見つからない種であっても、二足歩行の進化の歴史に位置づけることができるらしい。
他に私に新鮮だったのは、1000万年前の人類の祖先たちはアフリカではなく、当時温暖であったヨーロッパに生息していた可能性だ。上述した、ヒトと類人猿の共通祖先と思われる複数の種の化石はヨーロッパで発見されており、この類人猿たちが700万年前から400万年前の間に、後退する森を追ってヨーロッパを出て、中央アフリカや東アフリカに移動した、と考えられているらしい。またホモ・サピエンスと過去に共存していたネアンデルタールやデニソワ人はユーラシア大陸で進化し、アフリカから来たホモ・サピエンスと交配して、現在のヒトとなった。人類の進化は全てアフリカで起こったわけではないことを改めて認識した。
著者は恐らく40歳代の古人類学者。足への専門性が非常に高く、世界各地の研究者と交流があって化石に関する種々の共同研究を行なっているらしい。最初の著書である本書では化石の詳細な解析を元に、進化の過程で起きた足骨格の変化から歩行の仕方を読み解き、原著の副題 ”How Upright Walking Made Us Human” に示されている通り、ヒトをヒトたらしめている種々の性質との関連を考察している。人類の進化の過程で二足歩行が始まったのは樹木から地上に降りて暮らすようになったからではなく、まだ樹上生活をしていたときから既に木の上を直立して歩いていた、という最近の説は以前に読んだ本で知っていたので、目新しいことはあまりないかも、と思って読み始めたが、さすが「足首専門家」らしく非常に詳細な骨格の解析が示されており、知らないことが多々あって、充分に楽しめた。また話の構成も巧みで、アウストラロピテクスの「ルーシー」、ホモ・エレクトスの「ナリオコトメ・ボーイ(トゥルカナ・ボーイ)」など重要な化石は現地に赴いて実物を観察するなど、他の研究者との関わり方にも好感が持てた。
著者は「人類という種を定義づける諸々の変化(脳の巨大化、子育て法の変化など)が二足歩行によって初めて可能になり」「それらの変化のおかげで誕生の地アフリカから地球全体へと広がった」と考えている。本書では、第一部で化石が示す直立二足歩行の起源について考察し、第二部でヒトの進化における二足歩行の重要性、第三部で「効率的な二足歩行のために必要になった解剖学的変化が現代人の生活に与えた影響」、結論の章で四足歩行と比較して二足歩行には不利な点が数多あるにもかかわらず、人類がそれを乗り越えて生き延び、繁栄したことの理路を記している。
ヒトの歩行に関する進化の道筋は、類人猿のナックルウォーク(拳を使った四足歩行)から次第に立ち上がって、前屈みの二足歩行になり、最終的に直立するという図(有名な絵らしい)が印象にあるが、今の有力な説では樹上生活のときに既に直立二足歩行になり、さらにそれはチンパンジーなどの類人猿とヒトが枝分かれした時代(600万年頃と言われる)より遥か以前の1000万年前にまで遡る可能性があるという。もしかしたらヒトが4本足から2本足になったのではなく、チンパンジーが2本足からナックルウォークを始めたかも知れないのだ。但し、樹上での二足歩行の際は足で樹木を掴むために親指が(ヒトの手のように)横に突き出していて、現在のヒトの足親指の向きは地上での歩行が始まってから進化したと考えられている。
哺乳類の中で唯一、人類の系統だけが二足歩行をしているが、四足歩行の動物に比べて走る速度がかなり遅く、ヒトの祖先が地上生活を始めた時代に栄えていた肉食動物から逃れるためには非常に不利と考えられる(恐竜やその生き残りであるダチョウなどの飛ばない鳥類の二足歩行はヒトと比べて遥かに速い)。それにも関わらず、直立二足歩行の人類が現在まで生き延び、発展したのは、不利を補って余りあるメリットがあったからで、本書にも記述されているが、ここでは省略。また良く知られるように、脳の大きさと難産も歩行と骨盤の変化が重要であるなど、第三部も興味深いがそれも省く。
二足歩行であることは足や足跡の化石だけでなく、頭蓋骨からも示唆される。四足歩行をする類人猿では脊椎につながる穴が頭蓋骨の後ろ側にあるのに対し、直立二足歩行をするヒトでは頭蓋骨の下側にあるからだ。さらに骨盤の形からも類推されるなど、必ずしも足の化石が見つからない種であっても、二足歩行の進化の歴史に位置づけることができるらしい。
他に私に新鮮だったのは、1000万年前の人類の祖先たちはアフリカではなく、当時温暖であったヨーロッパに生息していた可能性だ。上述した、ヒトと類人猿の共通祖先と思われる複数の種の化石はヨーロッパで発見されており、この類人猿たちが700万年前から400万年前の間に、後退する森を追ってヨーロッパを出て、中央アフリカや東アフリカに移動した、と考えられているらしい。またホモ・サピエンスと過去に共存していたネアンデルタールやデニソワ人はユーラシア大陸で進化し、アフリカから来たホモ・サピエンスと交配して、現在のヒトとなった。人類の進化は全てアフリカで起こったわけではないことを改めて認識した。
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