皮膚、人間のすべてを語る 万能の臓器と巡る10章2023年04月01日

モンティ・ライマン (塩﨑香織・訳)<みすず書房・2022.5.9>

 特に皮膚に興味があったわけではないが、それなりに面白く読み通した。著者はイギリスの皮膚科医だが、本の内容には人間や社会一般に対する洞察も含まれ、またアジアやアフリカの開発途上国での経験が随所に紹介されていて、単なる医学の一分野の話を大きく超えていた。一般知識として知らなかったことも多く、知っていたことでも新たな視点から興味深い結びつきがわかって楽しめた。「菌類が世界を救う」のマーリン・シェルドレイクと同じく、自分の専門領域を愛していて、さらにそこを突き抜けた魅力を引き出すイギリスの若い教養人、という印象を受けたが少し褒めすぎか。全体としては皮膚がいかに重要で面白いかを様々な角度から記しているが、以下に興味深かったことを記す。
 最近、ヒトに住み着いている生物として腸内細菌が話題になるが、皮膚にも多くの生物が生きている。ヒトの皮膚の表面積は 2 m2 あり、そこには真菌(菌類)、ウイルス、ダニのほか1000種類以上の細菌や古細菌までいるという。ありとあらゆる種類の微生物がいるということだ。そのほとんどは悪さをしない共生菌だが、中には黄色ブドウ球菌など病気の原因になるものもいる。その形態のおぞましさの例として紹介しているのがニキビダニで、「クモともカニとも言い切れない体にミミズの細長い尻尾がついたような生き物が、まず間違いなく読者の顔面をはい回り、眉毛の毛包に入り込んでいる」という。確かに載っている写真は、実際に自分の身体にいるのを顕微鏡で見たら、何としても排除したくなりそうな生き物だ。
 皮膚がんの発症には太陽光が大きく関与していて、皮膚の色が薄い人(白人)に特に影響が強く、日本人にとって馴染みが薄いが、近年、欧米諸国では爆発的に皮膚がんの発症率が高くなっている。アメリカではここ30年で皮膚がん患者数がその他のがん患者の合計を上回るようになり、オーストラリアでは3人のうち2人が一生のうちに皮膚がんを発症するという。その原因として私はオゾン層の破壊によって地表に届く紫外線量が増加したことが大きいと思っていたが、本書ではそれには触れず、白人が「健康的な小麦色」の肌への憧れのために、日焼け止めを利用せず、積極的に日焼けをしていることを挙げている。小麦色の肌が「健康的」というのは俗説に過ぎず、皮膚の色が少し濃くなる程度でも、日焼けのダメージは長年に渡って蓄積するし、小さな子どもに炎症を起こすような日焼けをさせることは児童虐待である、という。欧米諸国では公衆衛生の啓発活動として、日焼けの防止が推奨されているが、その効果は上がっておらず、この30年で皮膚がんの発症率を減少に転じさせた国は、その世界では有名なキャンペーンを成功させたオーストラリアだけらしい。肌の色が濃くても太陽光によって皮膚がん発症のリスクは上がるものの白人に比べて小さいため、日本ではほとんど問題にされていないが、ランニングや畑仕事で毎年、強烈に肌を焼いている私としてはもう少し気をつけるべきなのかも知れない。
 ヒトの五感の一つである触覚には、指先など皮膚の無毛部が感じる「識別的触覚」があり、その受容体(メカノレセプター)や脳に高速で信号を送る神経繊維がわかっているが、最近、これとは全く別の触覚システムが理解され始めた。誰でも知っているように、自分で自分をくすぐることはできないし、「恋人に腕を触られたときの感覚は、・・医者の触診や混雑した電車の中で知らない人の手がかすったときの感覚」とは全く異なる。これらは「情動的触覚」と呼ばれ、皮膚の有毛部にある受容体で感知され、いま皮膚を触っているのは何か、という視覚情報と合わさって脳に伝達されて情動を形成する。従って「敵」と認識されればその刺激はさらに不快に感じられ、「愛情のこもった手で撫でられることを期待していれば、快感を受け止めるために皮膚の構造は一時的に変化する」という。自分でくすぐることができないのは「期待と予感をめぐる皮膚と脳のかけひきの奥深さをよく表している」というのが面白い。
 触れることは人間の生存と発達に大きな役割を果たすらしい。13世紀に、現代では倫理的にとても許されそうにない実験が行われた。人間が最初に話す言語を発見するために、生まれたばかりの赤ちゃんを母親から引き離して育て、乳母ら世話係は赤ちゃんがいるところでは会話禁止、さらに赤ちゃんに触れることも禁止したところ、乳は与えられていたにもかかわらず、赤ちゃんは死んでしまった、という。またチャウシェスク独裁政権時代のルーマニアで、職員が絶対的に足りない孤児院で成長した人は、ほかのルーマニア人に比べて、糖尿病から統合失調症まで、身体・精神疾患がはるかに高い割合でみられた。一方、1978年、南米コロンビアの母子医療センターでは、新生児集中治療室のスタッフと保育器の不足のため、赤ちゃんの死亡率が70%に達していたことから、方針を変えて、未熟児で生まれた赤ちゃんを肌が直接触れるように母親の胸に抱かせ、温めるとともに、母乳養育を推奨したところ、死亡率は10%に急低下した。この方法はカンガルーケアと名付けられ、その後の2、30年で世界に広がり、母親あるいは保育者との肌の触れ合いに特別な力があることがわかったという。カンガルーケアは赤ちゃんのバイタルサインを安定させ、睡眠を改善し、体重増加につながる上に、両親に対しても心理的にプラスの影響を与え、不安を和らげて育児に自信をもたせる効果が認められている。
 触れることの癒しの力は恋人や家族とのスキンシップにもあり、ストレスを下げる、脳からのエンドルフィンやオキシトシンの分泌が上がって報酬系や思いやりの回路が活性化される、など様々な結果が報告されている。さらにアルツハイマー病患者に触れるケアを取り入れると、周囲の人との感情的なつながりが改善され、症状を和らげるという。身体に手をあてて不調を治す方法は大昔から知られているが、そのしくみの理解はまだ始まったばかりで、今後の研究により「人間のタッチの力でさらに驚くような発見がなされることは間違いないだろう」としている。少し言い過ぎの気がしないでもないが。日本人は世界の中でかなりスキンシップが少ないと思うが、日本人を対象とした「触れる」ことに関する上述のような研究があるか、元々が少なければタッチの効果は低いのか、あるいはかえって強く効果が出るのか、知りたいところだ。
 心と皮膚の状態とは密接な関係がある。ストレスは湿疹や乾癬、ニキビ、脱毛、かゆみといった皮膚症状を悪化させる。赤面、冷や汗、鳥肌なども精神状態が皮膚に出たものと言える。逆に、私たちの身体で唯一外界にさらされていて、よくも悪くも第一印象を左右するから、皮膚が直接心に対して影響を与えることもある。ニキビに悩み、自殺を考えたことのある人はアメリカとイギリスで5人に1人という驚きの調査もあるという。確かに、特に若いうちは外見の悩みが心の傷として生涯にわたって残る可能性もあり、「気にするな」などの言葉はむやみに掛けるべきではないのだろう。
 最後に、本書で最も驚いたこと。現在、アメリカとイギリスでは26ー40歳のおよそ3分の1が少なくとも1つタトゥー(一生残る色素を身体に入れること)を有しているという。ヨーロッパにおけるこの風習は19世紀後半に始まるとのことで、もとは非常に高額の費用が必要だったために上流社会や王族のあいだで流行したが、安価な機械が開発されて広まったそうだ。日本では遅くとも江戸時代には刺青(入れ墨)が行われていたと思うが、ヨーロッパの氷河で発見された紀元前3300年頃のミイラ、通称「アイスマン」の全身に61個の小さな入れ墨が見つかったというから、かなりの歴史がある風習のようだ。なお、今のところ、タトゥーの色素が吸収されて身体のあちこちに移動することが知られているが、それらが健康に長期的な影響を及ぼすかどうかは不明とのことである。その他、皮膚と関連する人種、セックス、宗教、哲学なども議論されていて興味深いこともあったが、ここでは省く。