地図でスッと頭に入る縄文時代2022年04月12日

 山田康弘・監修 <昭文社・2021.11.25>

・地図だけでなく図と写真が非常に多く(ページの半分以上)、見開きごとに大きな文字で項目立てしてあるため、要点をつかみやすく、確かにスッと頭に入る。これまでに読んだ著者の本「縄文時代の歴史(講談社現代新書)」その他の内容の整理がついた気がする。もしかすると中高生向けかも知れないが、昨今の縄文時代ブームで関心を持った大人にも充分に役立つ。縄文時代の5つの区分について、生活や文化の解説があった後の本の最後で再び詳細な説明があり、このお陰で時代の全体像がつかみやすい。
 縄文時代は最終氷期が終わる前の16500年前頃に南九州に始まり、温暖化が始まった15500年前頃から日本各地に広がった。土器の普及、貝塚の出現、食料加工技術の定着、移動生活から定住生活への移行などの縄文的文化が浸透した11500年前頃までが「草創期」。
 7000年前頃までが「早期」。温暖化がさらに進んで気温が一気に7℃ほど上昇、縄文文化が北海道南部の函館付近にまで広がった。定住化が進展して、集落に墓域や貝塚が形成された。但し、長期の居住集落の痕跡は少なく、移動型の狩猟採集生活も多かった。7300年前頃に薩摩半島の50km南(屋久島の北)にある鬼界カルデラが大噴火を起こし、南九州や四国が壊滅的な被害にあった。温暖化の進展もあり、以降は東日本が縄文時代の中心。
 「前期(7000 - 5470年前)」から「中期(5470 - 4420年前)」が最盛期。温暖化による縄文海進。人口は最多で26万人(多くが東日本)。多彩な土器(火焔式)や土偶(縄文のビーナス)などを生産。三内丸山遺跡に見られるような大規模集落。
 「後期(4420- 3220年前)」から「晩期(3220 - 2350年前)」に寒冷化して食料事情が悪化、大型の集落を維持できなくなり、小規模集落に分散。3000年前頃に九州北部ではコメの生産が始まって弥生時代に移行するが、亀ヶ岡遺跡(青森)などの亀ヶ岡文化の最盛期は晩期にある。稲作が困難な北海道では弥生文化の影響を受けながらも狩猟採集の生活が続き、7世紀頃まで縄文文化を継承した(続縄文文化)。
 他の本の内容も含めてまとめると、縄文時代の特徴は、主食(日本の場合はコメ)の栽培以前に大きな集落での定住生活があったこと。クリなどの栽培はあったが、食の中心は狩猟採集。これは世界でも稀で、その背景には温暖化による広葉樹林の広がりと、海と川の豊富な魚介類のお陰で年間を通して安定した食料が得られたことがある。定住生活が土器を始めとした種々の文化を育んだ、