嗅ぐ文学、動く言葉、感じる読書 自閉症者と小説を読む2022年08月02日

ラルフ・ジェームス・サヴァリーズ (岩坂彰・訳)<みすず書房・2021.6.16>

 貸出延長ができない他館からの取り寄せ本で、3分の2ほど読んだところで返却期限になってしまったが、メモを書き残したいほどに印象が強かったので記録しておく。
 自閉症者を養子に持つ英文学の大学教授で、作家でもある著者が、長年にわたる我が子との読書体験と、5人の自閉症者(そのうちの1人はアメリカで最も有名な自閉症者と言われるテンプル・グランディン)とそれぞれ1対1でのオンライン講義で小説を一緒に読み、話し合った記録、という体裁の本だが、折に触れて自閉症者に対する一般的な評価と、実際に著者が感じた自閉症者の能力・特徴について、最近の世の中の研究結果を交えながら、詳細に描かれている(コロナ以前のことで、オンライン講義になったのは距離など別の理由のため)。著者はニューロダイバーシティ(神経多様性)と自閉症に関する研究調査も行っているとのことで、本書はその一環のプロジェクトらしい。
 一般に自閉症者(Autistic、という言い方を本人たちは希望するらしい)は「心の理論(他者にも自分と同じような心があると考える理論)」と比喩的表現の理解に欠けるとされ、従って文学の理解も難しいと考えられているという。6人には、いわゆる「高機能」の自閉症者も「低機能」と呼ばれる人も含まれるというが、著者はこの区別を全く信用しておらず、自閉症者の、欠陥ではなく感覚で対象と関わるという才能と読書の関係に注目する。本書では、彼らと読書体験を(一人とは小説に出てくる現場の見学も)共有することによって、自閉症者とニューロティピカル(神経学的な定型発達者)の様々な違いを感じ取り、記している。
 自閉症者は知覚機能が亢進しており、「知覚システムに対するトップダウン(前頭葉)の処理の影響力が比較的弱いために、知覚システムがある種の自律性をもって働くことが可能j」とする説がある。ティト(対象の1人)はニューロティピカルよりもはるかに多くの細部を見るため(本人曰く「ハイパーフォーカス」)、世界はバラバラに見える。細部を見過ぎないようにして、ようやく全体が見える、という。文章を読んでも、ニューロティピカルは言語中枢だけを働かせて理解しようとするのに対して、自閉症者は心の中でイメージに頼っている(感覚野の活動が高い)。それが本書のタイトルになっていて(原題は See It Feelingly)、著者は、両者での本の読み方の違いを善悪や正誤とすることを批判する。「自閉症者では感覚が思考を圧倒する。ニューロティピカルでは思考が感覚を圧倒する。」という。私は以前、東田直樹君という自閉症者のTVのドキュメンタリー番組を見て、彼の著書も少し読んだが、彼の言っていたことを思い出すと、本書の主張と合うと感じた。残念ながら本書に登場する自閉症者1人の章は全て、もう1人については半分くらいしか読んでないが、自閉症を理解するのに重要な本、と思う。
 最後に自分ごと。本書の記述の中に、ニューロティピカルでも情景描写などの文章を読むと感覚野が活発になるとあったが、どうも私は「ティピカル」ではないようで、小説を読むとき(最近は滅多に読まないが)、情景描写には関心が向かないのでほとんど飛ばして、ストーリーだけを追う傾向がある。また私はヒトの顔の識別能が弱いらしく、TVドラマなどで初めて見る役者の区別がつきにくく、あるいは初対面の人の顔を覚えるのが苦手であり、最近のコロナ禍で皆さんがマスクをして目しか見えないときは、知人でも誰かわからないことが多い。これらを合わせて考えると、私は知覚機能が弱く(視覚だけ?)、そのために「ティピカル」よりさらに思考に頼り過ぎるのかも知れない。70年を生きてきて初めて2つの自分が結びついた。

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