「ひきこもり」から考える <聴く>から始める支援論2022年05月02日

 石川良子 <ちくま新書・2021.11.10>

  「ひきこもり」に関する研究者が、支援者の姿勢、心構えについて書いた本。実際の支援をしていない研究者が書いた、ということで最初は何となく胡散臭く感じたが、読み進めるうちに著者が本に書こうとした意図に納得した。支援マニュアルではなく、あくまで支援者の姿勢に関する支援論であり、著者がひきこもり支援で最も大切と考えることは、タイトルにあるように<聴く>ことである。
 著者は大学院時代からひきこもり研究を始めて20年だそうで、そのテーマは「ひきこもり」とはどういう経験なのか、「ひきこもり」が社会のあり方や個人の生き方にどのような問題を提起しているのか、であった。ひきこもり当事者に対する自分の立ち位置、接し方などで悩み、苦戦しながら経験を積み重ね、現在の考えに行き着いた。それはひきこもりへの共感や受容を諦め、反感が生じる気持ちも敢えて抑えず、受容を「受け入れる」から「受け止める」に変えることであり、すなわち当事者の声を<聴く>ことにつきる。
 ひきこもり当事者は他人と接すること、語ることに困難を抱えるからこそひきこもりになったのだろうから、その彼ら彼女らの言葉を引き出して、<聴く>ことは必ずしも容易なことではない。また「支援とはどうしても暴力性を孕んでしまうもの(当事者の心に打撃を与える)」ではあるが、「暴力性を最小限に抑えようと努力することは必要」とする。要は、支援者は「あなたのために」という気持ちを振り回すことなく、いつも謙虚でいること。著者も度々引用するひきこもり支援の第一人者、齋藤環は医療者であることから、当事者の変容を求めざるを得ないが、著者はそれを必ずしも良しとしない。当事者の変容は、もし起こればもちろん良いことであるがそれは支援の結果であって、変容を目的としてしまうと「暴力的」になりがち、ということか。
 先に紹介した「自分で始めた人たち」の里親制度支援と共通することもあると感じた。それは当事者(里子やひきこもり本人)を尊重し、彼らの気持ち・考えを大切にすること。当然とも思えるが、上述のように「暴力的」になりがちな支援を、より良い、すなわち社会のためでなく、当事者自身のためになるようにするには、現状の支援現場で見られる以上に<聴く>ことを忘れずに、と言いたいようだ。私はどちらの支援現場も知らないが、おそらく重要な指摘なのだろう。

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