日本列島四万年のディープヒストリー ― 2022年04月26日
森先一貴 <朝日新聞出版・2021.8.25>
日本列島にホモ・サピエンスが住み始めた4万年前からの先史考古学の資料を通して現代をみる、という趣旨の本で、日本人の生活や文化が現代の世界において特徴的であることは、旧石器時代や縄文時代にも見られるという話。日本の様々な文化は平安時代から現在まで繋がっている、という話は聞くが、世界の中での日本の特徴のようなものは先史時代からあった、という。それは基本的に湿潤で温暖である上に、島国であること、南北に長く四季があるなどで気候が多様であること、山岳によって地域が隔てられていること、などの環境によって、先史時代から様々な地域文化が発展した。日本で「ガラパゴス化」とは悪い意味で使われるようになっているが、日本の先史時代の文化は、まさにガラパゴス化がもたらした特徴と考えられるようだ。
ヨーロッパでは、打製石器の旧石器時代、磨製石器の新石器時代、青銅器時代、鉄器時代と移り変わったと言われているが、日本では旧石器時代の遺跡から磨製石器が数多く出土し、16500年前頃からは土器が作られる縄文時代になった。また静岡県三島市では、3万年以上前という旧石器時代に「陥し穴」猟に使われたと見られる土坑が100基以上見つかっている。これほど古い大型土坑群は世界でも例がなく、作成にかなりの労力が必要な土坑群の存在は、定住とまでいえないとしても、生活範囲を狭めた定着的な生活様式の可能性をうかがわせる。
縄文遺跡が世界遺産に登録されたことで、以前より興味が増していくつかの本を読んできたが、世界の中での位置付けや、時代を超えての関連性など、ようやく多面的に理解できてきたような気がする。この本で紹介されている知見について、ホモ・サピエンス全体の先史時代に関する国際的な学会等での評価を知りたいところだ。
日本列島にホモ・サピエンスが住み始めた4万年前からの先史考古学の資料を通して現代をみる、という趣旨の本で、日本人の生活や文化が現代の世界において特徴的であることは、旧石器時代や縄文時代にも見られるという話。日本の様々な文化は平安時代から現在まで繋がっている、という話は聞くが、世界の中での日本の特徴のようなものは先史時代からあった、という。それは基本的に湿潤で温暖である上に、島国であること、南北に長く四季があるなどで気候が多様であること、山岳によって地域が隔てられていること、などの環境によって、先史時代から様々な地域文化が発展した。日本で「ガラパゴス化」とは悪い意味で使われるようになっているが、日本の先史時代の文化は、まさにガラパゴス化がもたらした特徴と考えられるようだ。
ヨーロッパでは、打製石器の旧石器時代、磨製石器の新石器時代、青銅器時代、鉄器時代と移り変わったと言われているが、日本では旧石器時代の遺跡から磨製石器が数多く出土し、16500年前頃からは土器が作られる縄文時代になった。また静岡県三島市では、3万年以上前という旧石器時代に「陥し穴」猟に使われたと見られる土坑が100基以上見つかっている。これほど古い大型土坑群は世界でも例がなく、作成にかなりの労力が必要な土坑群の存在は、定住とまでいえないとしても、生活範囲を狭めた定着的な生活様式の可能性をうかがわせる。
縄文遺跡が世界遺産に登録されたことで、以前より興味が増していくつかの本を読んできたが、世界の中での位置付けや、時代を超えての関連性など、ようやく多面的に理解できてきたような気がする。この本で紹介されている知見について、ホモ・サピエンス全体の先史時代に関する国際的な学会等での評価を知りたいところだ。
NOISE 組織はなぜ判断を誤るのか? ― 2022年04月27日
ダニエル・カーネマン、オリヴィエ・シボニー、キャス・R・サンスティーン(村井章子・訳) <早川書房・2021.12.15>
愛読書の一つであるカーネマン著「ファスト&スロー」の続編。前著で、ヒトが考えるときの仕組み(直感のシステム1と熟考のシステム2)や特徴(ヒューリスティックなど)を示した著者が、学者であり行政にも関わったサンスティーンらとともに、ヒトの「判断」の改善を目指して書いた。
ヒトの判断には、我々がイメージしているより遥かに多くの誤り(エラー)がある。それは裁判官などのプロフェッショナルでも同様で、同じ犯罪に対して下される量刑に驚くほどのばらつきがあり、さらに同一の裁判官による判断でもばらつきが出ることが示されている。すなわち犯罪者が受ける量刑はくじ引きのようなもので、エラーは正すべきとする。
エラーには系統的誤りである「バイアス」と、単なるばらつきによる「ノイズ」がある。必ずしも厳密に区別されるものではない気もするが、例えば人種差別に根ざしたエラーはバイアスで、個人の特性(優しい=甘い裁判官など)や気分(朝か夕方か)などによるばらつきはノイズである。本書では主にノイズを標的にして判断のエラーを減らすことを目指し、実際のノイズを探すところから始めて、その分類、原因、減らすための方法へと進んでいく。解決策の一つとして書かれている「判断ハイジーン」は、疫学で学ぶ病気の予防の考え方とよく似ており、そのためハイジーン(hygiene 衛生管理)という言葉が使われている。
著者らは、プロフェッショナルの判断の少なくとも一部はもっとAIに委ねられるようになる(その方がエラーが少ない)と考えているが、一般人の抵抗も大きいだろうとも考えており、そのために組織による判断を、より正しい(ばらつきの少ない)ものにしたいという意欲が伝わってくる。
今は本の返却期限が迫っているため判断ハイジーンの具体的な内容を書く余裕がないが、いずれハヤカワノンフィクション文庫で発売されたら是非購入して愛読書に加え、全体のまとめを作ってみたいと思う。カーネマンは既に80歳後半のようだが、さすが大したもんだ。
愛読書の一つであるカーネマン著「ファスト&スロー」の続編。前著で、ヒトが考えるときの仕組み(直感のシステム1と熟考のシステム2)や特徴(ヒューリスティックなど)を示した著者が、学者であり行政にも関わったサンスティーンらとともに、ヒトの「判断」の改善を目指して書いた。
ヒトの判断には、我々がイメージしているより遥かに多くの誤り(エラー)がある。それは裁判官などのプロフェッショナルでも同様で、同じ犯罪に対して下される量刑に驚くほどのばらつきがあり、さらに同一の裁判官による判断でもばらつきが出ることが示されている。すなわち犯罪者が受ける量刑はくじ引きのようなもので、エラーは正すべきとする。
エラーには系統的誤りである「バイアス」と、単なるばらつきによる「ノイズ」がある。必ずしも厳密に区別されるものではない気もするが、例えば人種差別に根ざしたエラーはバイアスで、個人の特性(優しい=甘い裁判官など)や気分(朝か夕方か)などによるばらつきはノイズである。本書では主にノイズを標的にして判断のエラーを減らすことを目指し、実際のノイズを探すところから始めて、その分類、原因、減らすための方法へと進んでいく。解決策の一つとして書かれている「判断ハイジーン」は、疫学で学ぶ病気の予防の考え方とよく似ており、そのためハイジーン(hygiene 衛生管理)という言葉が使われている。
著者らは、プロフェッショナルの判断の少なくとも一部はもっとAIに委ねられるようになる(その方がエラーが少ない)と考えているが、一般人の抵抗も大きいだろうとも考えており、そのために組織による判断を、より正しい(ばらつきの少ない)ものにしたいという意欲が伝わってくる。
今は本の返却期限が迫っているため判断ハイジーンの具体的な内容を書く余裕がないが、いずれハヤカワノンフィクション文庫で発売されたら是非購入して愛読書に加え、全体のまとめを作ってみたいと思う。カーネマンは既に80歳後半のようだが、さすが大したもんだ。
自分で始めた人たち 社会を変える新しい民主主義 ― 2022年04月28日
宇野重規 <大和書房・2022.3.1>
日本学術会議会員の任命を拒否された1人である著者の対談本。著者は、自治体と市民が協働して地域の課題を解決するアイディアを競う「チャレンジ!!オープンガバナンス、COG」という企画に立ち上げから関わってきたが、COGの入賞者や審査員との7回の対談や鼎談をまとめた。登場人物のほとんどが女性で、諸事情によりアイディアだけで止まってしまった応募もあるようだが、実際に課題解決のために活発に動き続けている人もいる。著者の本は初めて読んだが、加藤陽子と合わせて、日本政府が何を嫌って拒否したかがわかる気がした。
7つの話のうち、最も印象的だったのが、里親支援活動の齋藤さんの話。自身が実際に里親を経験し、さらに同期の里親仲間が「杉並区里子虐待死事件」を起こしたことから、COG応募の前から支援活動を始めていて、行政(東京都中野区)や児童相談所とともに里親制度の推進・発展に努めている。彼女には「子どもは親の所有物ではない」という考えが基本にあり、当事者である子どもの立場に立って考え、子どもの意見を重視する。一方、行政や児童相談所に対しても、批判するだけでなく、しばしばメディアからバッシングを受ける児童相談所のポジティブキャンペーンを行うなどして、ともに里親と里子を支えることを貫く。賞の対象となったのは、里親を子育て支援の一環と捉え、支援者がファミリーサポート、ショートステイ、里親へとステップアップしていく仕組みつくりのアイディアで、その後も「中野の子どもは中野のみんなで育てよう」という活動を続けている。
会話なので読みやすい。地域活動を通して行政とも少し関わり始めた私にとって興味深く、参考になったこともある。ただ、対談や鼎談のときだけでなく、全てにおいて登場人物を褒めまくることに若干の違和感を感じたが、それぞれの立場を考えると致し方ないか。
日本学術会議会員の任命を拒否された1人である著者の対談本。著者は、自治体と市民が協働して地域の課題を解決するアイディアを競う「チャレンジ!!オープンガバナンス、COG」という企画に立ち上げから関わってきたが、COGの入賞者や審査員との7回の対談や鼎談をまとめた。登場人物のほとんどが女性で、諸事情によりアイディアだけで止まってしまった応募もあるようだが、実際に課題解決のために活発に動き続けている人もいる。著者の本は初めて読んだが、加藤陽子と合わせて、日本政府が何を嫌って拒否したかがわかる気がした。
7つの話のうち、最も印象的だったのが、里親支援活動の齋藤さんの話。自身が実際に里親を経験し、さらに同期の里親仲間が「杉並区里子虐待死事件」を起こしたことから、COG応募の前から支援活動を始めていて、行政(東京都中野区)や児童相談所とともに里親制度の推進・発展に努めている。彼女には「子どもは親の所有物ではない」という考えが基本にあり、当事者である子どもの立場に立って考え、子どもの意見を重視する。一方、行政や児童相談所に対しても、批判するだけでなく、しばしばメディアからバッシングを受ける児童相談所のポジティブキャンペーンを行うなどして、ともに里親と里子を支えることを貫く。賞の対象となったのは、里親を子育て支援の一環と捉え、支援者がファミリーサポート、ショートステイ、里親へとステップアップしていく仕組みつくりのアイディアで、その後も「中野の子どもは中野のみんなで育てよう」という活動を続けている。
会話なので読みやすい。地域活動を通して行政とも少し関わり始めた私にとって興味深く、参考になったこともある。ただ、対談や鼎談のときだけでなく、全てにおいて登場人物を褒めまくることに若干の違和感を感じたが、それぞれの立場を考えると致し方ないか。
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